July 02, 2009
July 01, 2009
June 27, 2009
June 23, 2009
6月の短歌作品
景気
フラッパーゲートにカードをかざしたる後の静けさゲートひらかず
IDカード、カフェミストをもち昇降機の到着をまついつまでもまつ
地階より見慣れぬ顔が乗りてくるネクタイしめぬエコワークの月
慣れ親しむはToToであり海外製便器の座り心地をかなしむ
地下街の営業時間はとうに過ぎ通用門より追い出されたり
泡盛の酔いさますためのぼりゆく階にわかに雨音きこゆ
傘もたぬ、しかもコンビニ見あたらぬ終電車の刻しだいに迫る
終電車一本まえに間にあいて酔客すくなきことに驚く
一ー三月期が底と言いたる者のふえ大盤振る舞い補正のおかげ
エコカーに買い換えるならば減税に補助金くわえて千円高速
在庫調整終わりて生産うわむくと株価上昇、雇用なきまま
目の奥に痛みののこる夕闇にひかり輝く大観覧車
平衡感覚狂いて見ているだけでただ目のまわりたるメリーゴーランド
June 18, 2009
村上春樹新刊 1Q84 その後その7
いくつか、村上春樹のインタビューを目にした。最も長いものは、「クーリエ・ジャポン7月号」巻頭インタビュー。
その中で村上春樹は、「実際、僕の仕事は嘘をつくことなんです。現実に色を添えること、想像豊かであること、人を楽しませること。もしかしたら、それは僕の人格の一部なのかもしれません。現実を別の形で表現すること。フィクションは”大いなる嘘”です。小説を書くとき、僕はできるだけ上手に嘘をつかなくてはならない。”偽のレンガで、真実の壁を築くこと”、それが僕の仕事です」と述べている。
また、相前後するが、「嘘をつくのが仕事の場合、誰よりも『真実』について知っていなくてはなりません」とも述べている。
周知のとおり、『1Q84』はオウム裁判の傍聴をもと書かれたものだが、村上の言葉通り、「偽のレンガで築かれた真実の壁である」と解して読み進めることが極めて重要である。
June 15, 2009
村上春樹新刊 1Q84 その後その6
青豆も天吾も、次々に事件に巻き込まれていくが、それは自身で選択したことの帰結以外、何ものでもない。
誰でも長い人生のなかでは、回避しようと思えば回避できることに巻き込まれるが、それらは所詮、主体的な部分が大きい。
村上春樹の小説は、読者に何かのスイッチを与えるが、上巻を読み終え判断するに、社会正義に対する意識というところだろうか。
June 08, 2009
June 07, 2009
村上春樹新刊 1Q84 その後その5
月がふたつ、流れる時間もふたつ。
そのふたつ時間が相互に絡み合い、世界が崩壊していく。
その過程に、青豆という存在が組み込まれている。
非現実が現実を覆いつくし、それが現実になるということか。
現代人として共感できる。
June 04, 2009
村上春樹新刊 1Q84 その後その4
村上春樹の長編小説には、語り部が現れる。歴史の証人、あるいは内部精通者といった類の者だが、不思議なキャラクターを与えられ登場する。
村上春樹は、主人公を比較的、平凡な、あるいは既視感のあるキャラクターで描きながら、語り部には、個性的なキャラクターを与える。
今回の「1Q84」では、元文化人類学者の先生やあゆみに、その役割が与えられているのだろうか。ふたりの言動を丹念に追うことは、この小説の本質に迫る有効な方法だと思う。
June 03, 2009
村上春樹新刊 1Q84 その後その3
「1Q84」は、その後も、少しずつ読み進めているが、今日は、私の書棚にあった「ユリイカ」臨時増刊『村上春樹の世界』から...。
このユリイカは、書棚の取り出しやすいところに置いてあって、夜な夜なめくっては、様々な人々の村上春樹観を確認しているが、巻頭、翻訳家・柴田元幸が村上春樹にインタビューをしている。その中から、村上春樹の言を一部を引く。
まず長編小説について・・・
「長編というのは、・・・ある種の自己変革を要求するくらいのパワーのあるものじゃなくてはならないと僕は思うんです。・・・だから要するに、短編に使うマテリアルと長編に使うマテリアルというのは同じではないんです。」
これまでの村上春樹作品は、登場人物が時代を映す鏡として描かれていて、しかもその時代認識が新鮮なことが美点だった。
近過去小説のかたちをとっている「1Q84」は、その点からどうなのか。「Q」が「9」ならば、多くの読者が時代の再確認を迫られることになる。
村上自身も時代の再確認を「1Q84」を書き進めながら、「自己改革」しようとしているのだろうか。
もうひとつ、自身の小説世界について・・・
「だいたいいつもふたつの世界を内包しているんですね。こっちの世界とあっちの世界ですね。・・・でもそれとは別に、僕の意識のなかにはふたつの種類の時間性みたいなものがあるんです。こっちの時間性とあっちの時間性ですね。・・・限られた現実の時間性と、それからそういうものを越えた非リアル・タイムの時間性ですね。」
これはもう、「1Q84」を読み始めたものならば、理解可能な村上春樹の世界である。裏か表かわからないが、時代というものは、表出していないものに支えられ、可視性をもつようになる。そのことを村上春樹は、「1Q84」で立証しようとしているのではないだろうか。











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