生涯現役、それとも足るを知らざる
私は、「生涯現役」という言葉がきらいだ。ある種、仕事に対する熱意からくるものであろうが、実際には一部の芸術家以外には当てはまらないものであると私は考える。
権力欲、あるいは仕事へのあきらめのなさを、こうした聞こえのよい言葉で包み隠そうとしてように感じてならないのだ。
私は、「生涯現役」という言葉がきらいだ。ある種、仕事に対する熱意からくるものであろうが、実際には一部の芸術家以外には当てはまらないものであると私は考える。
権力欲、あるいは仕事へのあきらめのなさを、こうした聞こえのよい言葉で包み隠そうとしてように感じてならないのだ。
7月5日、横浜でのドボルジャークに感心し、急遽チケットをとって、広上が指揮する日本フィル東京定期を聴いてきた(2008年7月12日、於:サントリーホール)。
今回は、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番ト短調とショスタコーヴィチの交響曲第12番ニ短調〈1917年〉である。先日のドボルジャークと同様、広上がシンフォニーをどう振るかとうことに注目した。
資源
玄関先に待っていましたというばかりのおとこが古紙をあつめてしまう
アルミ缶スチール缶は私道にてあつめる児童育英のため
週に二度資源ゴミなるゴミあつめ資源さらうはチャイナのごとし
残されしもののかずかず、髭の濃きおとこ、あるいはその他無価物
原形をとどめぬものの美しく雑瓶こなごなになるは悲しく
いっせいに立ち上がりたる客のあとみどり色したマドラーいっぽん
紫陽花に終日ひかりのあたらざる葉叢のありてみどりしたたる
マドラーも有価物なる扱いをうけるすべてを資源化せよと
ゴミらしきもの爪先にてスタッフのひろうランチタイムは終わりぬ
銀色の紙くず少女がひろいたり緊急停車のアナウンスひびく
紙くずを掌にのせもてあそぶ少女よ電車は何時うごきだす
元台風と元ホステスの違いなどかんがえ夜半の霧雨のなか
制限
五号車の車窓にうつる朝焼けをみつめる携帯なりつづけるなか
眠りこけたるおんなの手元に携帯はなりつづけたり、あゆのメロディ
汽笛ならぬ新橋駅に降りてゆくおんな携帯を車内にのこす
気づきたるはわれのみであり携帯を壊す?捨てる?大事にしまう?
東京駅三番ホームに駅員はおらず携帯ベンチにおきぬ
六時よりお菜はならべられはじめ冷たきものが最初にならぶ
温かき煮物は里芋、ヤングコーン、人参もられて梅雨寒の朝
眼前にならべられたる糖質をたべるわけにはいかぬ療法
炭水化物糖質制限食療法「慣れればどーってことはない」とぞ
クリームパンあんパンだいふく「金輪際たべない」などとわれは誓いぬ
通いなれれど月曜の階段さいしょの数歩がきつい
消すことのできる赤のボールペンはしらせ部下のプランをなおす
痕跡のかすかにのこる獣道ガード下にも夕陽はあたる
文藝春秋の最新号(2008年7月号)に、短歌人編集人の小池光の最新作8首が掲載されていたので、紹介する。文藝春秋は今日発売で、著作権法に触れるので8首中4首を取り上げる。
さまざまなこと嵐にまさり押し寄せて今月もはや二十五日ぞ
小池光の短歌の特長のひとつに、漢字とひらがらのバランスの良さがある。この歌では比較的漢字の多いが、「押し寄せて」という句の通り、漢字のもつ凝縮感で、押し出しを強めている。
言葉の選び方で参考としたいのは、「嵐にまさり」であろう。普通なら、「嵐のごとく」としてしまうところだ。「ごとく」「ように」の直喩表現は食傷気味である。「ごとく」等を使わずに、読ませるようにしなければならないということを気づかせてくれる。
芍薬のつぼみにのぼる蟻ひとつゆふぐれの風あたらしき中
花の咲く季節は、同時に虫たちの活動が活発になる季節でもある。蟻は小さいが黒いので、華やかな色の花弁に歩いているところは、容易にみつけられる。それを何の感情もはさまず、淡々と詠った歌である。
むしろ、花弁をゆらす「ゆふぐれの風」という句が、作者の感情を表しているポイントとなり、読みやすい自然詠としている。小池作品としては、存外めずらしいタイプの歌かもしれない。
昨年よりいかにもあはき色あひに灯りそめたる庭の紫陽花
これもそのまま読めば、ごく普通の自然詠であるが、「いかにもあはき色あひ」の「紫陽花」をみつめている作者の境涯が投影されているように思う。
植物の成長の変わり様は、温暖化の影響という見方もできるが、この場合、永年の教職を辞した作者自身の心の変化のようなものが、この歌からは感じられるのである。
掌(てのひら)のうへに五月の小鳥ありなんとかなしきこゑに鳴くかも
雀の雛でも拾ったのであろう。作者はそれを掌に乗せて観察をしている。雛の立場からすれば、親鳥から離れてしまった異常事態に鳴くほかない。
その鳴き声を単刀直入に「なんとかなしきこゑ」と表現した。この世で、この雛ほど悲しく鳴くものはいないという、やや大仰な表現が、新しい生を生み出す五月というさわやかな季節と対比されている。
短歌人で書かれている作品に比べると、読みやすいという印象があるが、それは対象が一般読者と短歌人会員の違いから来るものだろう。なかなかの一連である。ご一読を。
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