田中的なもの、堀江的なもの
堀江貴文ライブドア社長が逮捕された。証券取引法という、市場をルールを定めた法律に違反した容疑によってである。思い起こせば、いまから30年前の1976年の7月、田中角栄元総理がロッキード社からの受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑によって逮捕されている。時代の風雲児だったという点、そしてある種のコンプレックスを原動力にしてのし上がったという点において、田中角栄と堀江貴文は、極めて近似するキャラクターを持っているということができよう。
田中角栄の場合には、中学卒業という学歴しか持たない中で、総理大臣まで上り詰めたが、その原動力には、冬、雪深い村で過ごす生活を変えたいという意識があった。衆議院議員として、多くの法制度をつくりあげたが、その多くは、道路や港湾、空港などの社会インフラの整備を行うための財政・税制面の仕組みであったことは特筆される。
雪に閉ざされ孤立し、これといった産業のない過疎地に公共投資の金を落とし、建設・土木業を盛んにする。その経営者たちが政治献金というかたちで田中角栄を支え、田中自身も一陣笠代議士から日本を代表する政治家に上り詰める努力を惜しまなかった。
こうした仕組みをジャーナリストの立花隆は、「田中的なもの」と位置づけ、現総理の小泉純一郎が、その破壊を行っていると論じているが、その破壊行為は、田中が逮捕されてから30年、亡くなってからでも十数年という歳月を経ててようやく始まったばかりである。「コンピュータ付きブルドーザー」というニックネームが示すように、田中がその豪腕で組み上げた制度を破壊するのは、今でも難儀な仕事であり、さすがの小泉純一郎であっても、未だ道半ばという状況である。
田中的なものは、いまでも私たちの身の回りにがっちりと根を張り、主に都市住民が払った税金を田中が想定した地方に還流させている。田中角栄はもう居ないけれども、少なからぬ政治家は、その金の流れの中で政治活動を維持していると言えよう。
一方、堀江貴文は、猛勉強をして東京大学文学部に入ったものの、まわりが比較的裕福な家の出で、金に苦労しない学生であることに驚き、自ら金を稼ぐために起業をするとともに、大学は中退するという行動に打って出た。コア事業がなかなか固まらないままに、グループ会社合計で1兆円を超える時価総額の企業群を率いた堀江は、法の隙間をかいくぐって、お金を回しながらお金を増やす仕組みを編み出していたわけである。
まだ、全ての事実が明らかにされたわけではないので、断定は慎まなければならないが、堀江貴文が犯したとされる罪は、実定法、すなわち人間が定立した、今の時代の日本に限定して効力を持つ証券取引法の違法と適法の境目を人に気づかれぬようにそっと通り抜けることであったと思う。商法上である犯罪(粉飾決算)も噂されているが、昨日の逮捕容疑である証券取引法違反が本当にあったかどうかは、専門家の間でも意見が分かれているようである。
一般に、資本主義における市場参加者には、強い倫理観が求められるといわれている。自由競争を基本とする資本主義にあって、市場のルールづくりを法制度に依存するには限度があり、その限度を補うのが市場参加者の倫理観だからである。起こりうる全てのことを想定してルール化することはそもそも困難であり、たとえそのようなことが可能であったとしても、自由競争をゆがめるおそれもある。その意味で、堀江は、多くの若きプロフェッショナルズの力を借りて、現代資本主義の枠組みを手で探りながら金儲けに勤しんだ。
自身へのお金の還流を、政治の舞台に乗りながら自ら制度化に奔走して実現させた田中角栄、政治や行政の想定してないところに目をつけて実現させた堀江貴文、それぞれがもてはやされた時代の違いが色濃く出てはいるが、二人はまさに日本社会が産み育んだ人間であることは間違いない。
堀江貴文は田中角栄と同じく、小菅にある東京拘置所に収監された。スポットライトの当たる輝かしい経験をした人物ほど、拘置所での生活は屈辱的なものであるといわれている。この二人は、日本人の心をくすぐる魅力を有しているという点でも共通性が見て取れる。JR浦佐駅には、田中の全身像が建っているし、堀江のブログには、「頑張れ、ホリエモン」というコメントが数多く並ぶ。田中角栄にしても、もちろん堀江貴文にしても、時代による検証に待たないかぎり、真の姿は浮かび上がることはないであろう。
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Comments
ハルズさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
田中角栄と堀江貴文を比較したのは、30年の歳月というきりの良さに気づいたからです。
しかし書いてみて、その共通点に気づきました。
田中角栄が活躍していた当時、堀江貴文のようなかたちでステータスを得ることは考えられませんでした。しかし田中角栄のような出方は認められていた。
要するに、二つの立身出世物語(少しふるい言葉ですが)は、時代の許容するぎりぎりのものであって、そこに危うさがつきまとうという点で共通しているのです。
ゆえに比較をしてみたということです。
江副さんはそれに比べるとかなり単純で、時代に残るようなものではないと私は思います。
またお立ち寄り下さい。
Posted by: HIRO | February 14, 2006 at 05:05 PM
ちょっとHiroさん、これは間違ってますよ。!だいたい30数年前の日本の片田舎の政治家と、めまぐるしく動いている現在の日本経済の青年起業家を、同じ視点で考えるのには無理がありますよ!僕は堀江さんは(呼び捨てにしますが)まったく政治などには関心のないやつで、しかも企業買収などもホントは望んで関心を持たない人ではないかと思ってます。ライブドアが摘発されたのは、まったく異例の事でしょう。・・・今の日本の経済シーンを見ると、さまざまな形で実際お金を生み出す”わざ”は使われているのが現状ではないでしょうか。・・・このあやふやさは、どちらかと言えば・・・あの超有名な「リクルート事件」にそっくりだと思います。・・実際堀江さんは、むかしの江副さんに対して信奉があるのではないでしょうか。・・・
Posted by: ハルズ | January 30, 2006 at 06:17 AM