詞書のない機会詠
1月22日に開かれた短歌人の新年歌会において、私はとんでもない誤読をしてしまった。
稲吉佳子さんが出された歌。
林道の三叉路にたち祖母は千年のちまで悔やむであらう
これに私は、「この三叉路は実景ではないだろう。人生の岐路という比喩として使ったのだろうが、下句の千年のちまでがいかにも大仰で、この人物の強欲さが出てしまう」というコメントをした。後に、ある方が「これは栃木の女児殺害事件において、当日、迎えに行けなかったお祖母さんの心境を詠ったものではないか」とコメントされ、はっとした。この歌には詞書がなく、一五〇首を越える歌会の一首としてみると、言い訳がましいが、栃木の事件を素材にした歌だと気づくことはできなかった。
機会詠には詞書が付されている場合が多く、それによって、どのような事件、事象に触発されてつくられた歌なのか、たちまち理解できる。しかし、それがわかってしまうと、かえって歌の魅力が減じることにはなるまいか。例えば、これら二首。
捲らなくなつた日捲り束にして引き裂くなにかかなしきちから
荻原裕幸『永遠青天症』
ブレイカー落ちて画像はおそろしき迅さに縮む まんもすのやみ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』
荻原の歌には「三月。地下鉄サリン事件前後。」という詞書が、また加藤の歌には「一九九五・五・一六、教祖逮捕」という詞書が付されている。歌集を読み進めるなかで、これらを読まないわけにはいかないが、もし詞書がなければ、「かなしきちから」や「まんもすのやみ」に対する想像はふくらむ。
いまやバブルの再来といわれるわが国だが、日々起こる事件、災害等を詞書なしで、ぐいぐい詠む作品に挑戦したいものだ。
(短歌人2006年4月号掲載)
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