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April 25, 2006

生誕120年「藤田嗣治展」を観る

先日。東京国立近代美術館にて、生誕120年を記念した「藤田嗣治展」に観た。平日の午後なのに、かなりの人出で、入場制限がかかっていた。それでも込んでいるのは一部のコーナーで、それをうまくかわせば、お目当ての作品をゆっくり鑑賞することはできた。
約100点にのぼる作品が一堂に集まるのは、藤田の場合、これまでなかったようだ。私もこれまで、様々な展覧会で藤田の作品を観てきたが、藤田の生きた時代を辿るのは初めてだ。
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周知の通り藤田は、東京美術学校で黒田清輝に習い、その後、パリのモンパルナスに移った。そこで様々な才能豊かな画家たちと出会い刺激を受けて、自身も懸命に努力を行い、パリ画壇での地位を得た。知人からピカソを紹介され、キュビスムの作品も残すが、日本人なればこそという技法に磨きをかけ、モンパルナスの寵児としてもてはやされた。

今回は回顧展の性格を有するもので、第1章-エコール・ド・パリ時代、第2章-中南米そして日本、第3章-ふたたびパリへ、の三部構成をとり、ほぼ年代順に作品を展示している。それぞれの章は2部、あるいは3部に分かれているが、大づかみに「パリ」「中南米・日本」「そして再びパリ」という3つの舞台で藤田の足跡を追っている。

第1章では、パリの風景画に藤田の才能の開化を感じ取ることができる。藤田は1913年にパリに渡っているが、その翌年に描かれた「巴里城門」(油彩・キャンバス)が特にすばらしい。時代は後期印象派の終盤といわれる時代であるが、適度なデフォルメが新しい時代の息づかいを感じさせる。全体に黄土色の暗いトーンでまとめられているが、構図が見事で、タッチも精緻でかつ重厚な作品だ。周りにいた人々(赤の他人)と顔を見合わせ、うなってしまったほどだ。
パリの風景画としては、1918年作の「パリ風景」(油彩・キャンバス)も印象深い。雲の描き方や煙のたなびくさまの描写が自然で、この作品の方がむしろ印象派のニュアンスを多く含んでいるように思える。色彩のないゴッホ風の作品とも言えよう。

後半の部は、藤田のトレードマークである「乳白色の裸婦」である。「五人の裸婦」(1923年、油彩・キャンバス)は、なかでも大胆な作品である。藤田がサイン代わりに描いたとされる猫に加え犬が描かれているが、藤田の動物描写がいかに優れているかをこの作品から理解できる。しかし主題は裸婦である。3人は立ち姿であり、2人はひざまずいてポースをとってるが、リアリティがない。横たわる1人の裸婦を描いた、他の多くの裸婦像に比べると凝縮感がなく、どちらかというと散漫な印象だ。藤田の卓越した細部の技術を鑑賞すべき作品なのであろうか。
裸婦像のなかで最も秀作と思われるのが「タピスリーの裸婦」(1923年、油彩・キャンバス)であろう。構図が安定しており、バックの花柄模様も嫌みはない。藤田特有の輪郭の美しさと乳白色の輝きが堪能できる。これにも猫が描かれているが、裸婦と一体となった生の生々しさ、優美さが見事である。

「ライオンのいる構図」(1928年、油彩・キャンバス)にも、裸婦が描かれているが、この主題はいったいどのようなものなのであろうか。テレビ東京系列の「美の巨人たち」において取り上げられたこの大作からは、直感的に「他者の視線」が感じられる。ライオンは小さな檻の中に閉じこめられ、そのまわりの数多くの男女が着衣のないまま、さまざまなポーズをとっている。人間の肉体美を描いたと考えれば、それはそれで納得できるが、それ以上に何か藤田の意図したものがあるとすれば、それが何なのか、なかなかつかみきれない。藤田が乳白色を手に入れるまでには、大変な努力があったということが「美の巨人たち」で紹介されていたが、まさか、それを誇示するためにこれが描かれたわけではあるまい。さまざまにポーズをとる男女は、まるで藤田の心の変化を見るようでもある。藤田には、人間のどのような動きでも描ききれるという自信があったのだろう。この作品からは、そうした自信溢れる藤田が見取れるが、実のところ、揺れ動く藤田の心が男女の多様なポーズに込められているように思われるのである。それを檻の中からライオンが見つめている。ライオンは、藤田を冷めた目で見ている「他者」なのだろう。
その他、第1章のなかで印象に残った作品としては、「アンナ・ド・ノアイユの肖像」(1926年頃、油彩・キャンバス)が上げられよう。美女が、真っ白なキャンバスにすっと立っている。ただそれだけの作品だが、美女はこう描くべきだという、見本のような作品である。

第2章は、「中南米そして日本」である。その前半は、「色彩の開花」と題して、藤田が巡った中南米での作品で構成されている。藤田は、1931年から33年まで中南米各地を転々とするが、藤田の作風はこれを機会に大きく変貌を遂げる。とりわけ色彩に対する考え方ががらりと変わり、乳白色は影を潜める。土着的ニュアンスに富んだ作品が多いが、こうした作品を藤田嗣治という名を付して世に問うべきものなのかかという気持も芽生えてしまう。主題性は明確に感じられるが、この程度であれば、先人たちはより大きな仕事をしている。有り体に言えば、この一連に特に観るべき作品はなく、素通りしてもかまわないとさえ思えるのだ。
それでも、「黒人の女」(1932年、油彩・キャンバス)の力強さは記憶に残る。このあたりはなぜか混雑がひどく、じっくり観ることができなかったためかもしれないが、私にはどうにも評価しようのない一連であった。

この章の第2部は、「日本回帰」である、藤田は1933年に日本に帰国している。34年には、二科会会員となり、その後、日本が大戦に突入していくなかで従軍画家として作品を描き続けるのは周知の通りである。従軍画家としての作品は、「戦時下で」というパートでくくられている。
日本に戻った直後の藤田は、日本の町の風景を庶民的な視点で描いた。「ちんどんや職人と女中」(1934年)、「チンドンヤ」(1934年)、「魚河岸」(1934年)の三作はいずれも水彩・紙で描かれている。藤田は東京の下町生まれ、生粋の江戸っ子だが、比較的安定した時代の江戸の風情を冷静に描いた。
藤田の作品のなかで忘れてはならないのは、自画像である。普通、西洋画壇の自画像というと、ひとりポーズをとった作者が描かれているだけだが、藤田の自画像からは、描かれた時代の生活が詳細に理解できる、雑然とした居室やアトリエのなかに藤田が描かれている。「自画像」(1936年、 油彩・キャンバス)などがその典型だが、藤田の無防備な性格を表しているように、包み隠さず自身の生活を披露している。
藤田の性格は、第3部の「戦時下で」に集約された戦争画にも反映されているように思う。藤田は軍の求めに応じ従軍し、中国大陸などの戦況をキャンバスに描いたが、必ずしも各地において、眼前にある戦争を描ききったわけではなかったようだ。しかし、「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」(1942年、油彩・キャンバス)や「アッツ島玉砕」(1943年、油彩・キャンバス)、さらには「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945年、油彩・キャンバス)は圧巻である。いずれも、国威を発揚するどころか、国民の戦意を喪失させるような、戦争の悲惨さ、修羅場が生々しく描かれている。
藤田はいったい、どのようにしてこれらの作品を描くことができたのだろうか。藤田は、これを描くことによって自身がどのような状況に追い込まれるかなどを考えもせず、ひたすらに無心の境地で戦地で苦しむ日本兵を描こうとしたのだろう。戦後、藤田はこれらの作品をもって、戦争責任を問われることになるが、戦争の悲惨さを伝えたという意味から、むしろ評価されるべき作品だと私は思う。細部を観れば観るほどリアリティ溢れる藤田の特長がよく出ており、しかも構図に安定感がある。
とかく藤田の作品は細部は優れているが、全てを視野に入れると破綻する構図も少なからず見受けられる。しかし、一連の戦争画は全く異なる。戦後、キャパら写真家たちがとらえた戦争とはもちろん異にするが、戦争が芸術のテーマになるということを、これらの作品は教えてくれる。

第3章は、「再びフランスへ」と題する一連である。藤田は、1949年に東京からニューヨークに渡り、1950年にパリに移っている。その行動は、正しく石もて追われるものであったが、規範や価値観が大きく変わる日本で、藤田の無垢な精神は耐えられなかったということだろう。
この第3部は、「夢と日常」と題されているが、この中では、「私の夢」(1947年、油彩・キャンバス)は印象的である。再び裸婦である。女は寝入っているようで、寝台のまわりには、犬猫に狐、狸、ウサギなどがぐるっとと彼女を取り囲んでいる。動物たちの爪はするどく、彼女は食われる寸前なのかもしれない。モデルを藤田自身に置き換えれば、四面楚歌の状態であった日本での出来事を夢で見ているということなのだろうか。
「夢」(1954年、油彩・キャンバス)もとても美しい裸婦像である。ここにも動物が裸婦をのぞき込むようなかたちで描かれているが、再びパリに住み、若き日より取り組んだ裸婦像に磨きをかけようとしたのだろう。色合いは乳白色から、暖色を帯びたものに変化している。これによって、不思議と生の生々しさやエロティシズムが表出してくる。乳白色の裸婦にはなかったニュアンスだ。
「カフェにて」(1949-63年、油彩・キャンバス)は、本来、2作あるようだが、東京展では1点のみ展示されていた。描かれているものが微妙に異なるが、モデルとなった女性の物憂げな雰囲気は同じである。赤ワインの注がれたグラスに何も描かれていない便せん、インクのボトルなど、テーブルのうえに配置されているものだけを観ると、優れた静物画でもある。この絵は、今回の回顧展のポスターやチケットに使われた。

再び訪れたパリで、藤田は子供達を題材にした作品を多く残している。男の子も描かれているが、圧倒的に女の子が多い。「朝の買物」(1962年、油彩・キャンバス)、「小さな主婦」(1965年、油彩・キャンバス)は、いずれも女の子が1人、焼きたてのパンとミルクの入ったボトルをもって立っている姿である。顔はほぼ同じで、かわいらしさというより、おしゃまでどこか冷めた目をもつ少女である。この2作を見つめていると、自分もパリの街角に佇んでいるような気分にさせてくれる。
「誕生日」(1958年、油彩・キャンバス)は、円卓に11人の子供、円卓の真ん中には大きなケーキが飾られている様子をやや高い位置から俯瞰した。そのパーティに招かれなかった子供達もいて窓越しに6人が部屋のなかをのぞき込んでいる。選ばれた者と選ばれなかった者を隔てる壁は、子供心にはとてつもなく厚い。軽いタッチで描かれているが、なかなかシリアスな作品だ。
「二人の祈り」(1952年、油彩・キャンバス)には、藤田と妻君代が多くの子供とともに描かれている。藤田には実子はいなかったはずである。しかし、画家は作品上に何人でも子供を生かすことができる。天国でもあり地獄でもある、現世に住むものの切ない祈りが浮かび上がるような構成の作品だ。飛騨市舌には化け物たちが描かれている

第3章の二部は、「神への祈り」である。藤田は、1959年にカトリックの洗礼を受けている。今回の回顧展では、フランスに渡った直後の1918年の作として、「生誕 於巴里」(油彩・キャンバス)、「礼拝」(油彩・キャンバス),「キリスト」(油彩・キャンバス)などの宗教画が展示されている。キリスト教への関心はこのころからあったのだろうが、洗礼を受けた背景には、還暦を迎え、二度と日本に戻らない意志のようなものを感じざるを得ない。
そうしたなか、藤田は精力的に宗教画に取り組む。そのほとんどは、パリ市立近代美術館に所蔵されているようだ。この中で際だって異色なのは、「マドンナ」(1963年、油彩・キャンバス)である。黒人の少女が祈りを捧げている。そのまわりには、同じく黒人の子供達の顔が並ぶ。神の御心のもと人は平等だが、当時の社会情勢を踏まえれば、黒人に対する差別はいまよりはるかに厳しく存在していた。それに対する抗議のように、子供達の顔は決して穏やかな表情をしていない。
「礼拝」(1962-63年、油彩・キャンバス)には、左側に藤田自身が描かれている。神に仕える姿勢を示し、自身の才能を神に捧げる姿勢が見取れる。自己顕示的とも思えるが、吹っ切れた藤田をそこに見ることができる。
藤田はフレスコ画にも取り組んだ。ランスにあるチャペル・フジタ(フジタ礼拝堂)には、有名は藤田の遺作が残されているが、その様子は、展示室の最後に写真で紹介されていた。現時で実際に見てみたいものだ。

短時間ではあったが、藤田嗣治展を観て、藤田の豊かな才能を再確認するとともに、藤田の心の動きを理解できないもどかしさも残った。これほどまでの才能を示し、膨大な作品を残しながら、藤田は長らく異端者の烙印を押され、正当な評価がなされなかった。むしろ、その才能ゆえに反作用的な悪評が立ち、それに抵抗するかたちで、藤田自身が行動をし描くテーマを変えていった節がある。回顧展というかたちで示されると、そのことが如実に浮かび上がってくるのだ。

藤田は何でも描けた画家であることは間違いない。しかし、他者の目や声を必要以上に気にし、それに反応して即座に行動に移し、それが作風のテーマの変化につながる。結果として、言葉は適切ではないが、作品群全体の評価として散漫な印象を与えるのではないか。一枚の絵をとっても、そのタッチ、とりわけ線描の見事さには息をのむほどだが、例えば作品から少し離れて全体を見渡した場合、凡庸さを感じてしまう作品にも少なからず出会うのだ。
比較することが適切とはいえないが、同じくフランスで作品を描いた三岸節子などはその正反対で、細部はともかく、遠くから観るとその作品世界に引き込まれる深遠さをもつ作品が多い。

いずれにしても、藤田は現代人に愛されている。藤田はそのことを天国でとても喜んでいることだろう。異端者は、歳月とともに評価が高まるという、その典型として、藤田嗣治はいま再び生誕したのである。


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Comments

TBありがとうございます!

藤田の作品は有名な裸婦画とはまったく違ったテーマである戦争画もリアルな描写や迫力がありすぎて、大変印象的でした。

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