生涯現役、それとも足るを知らざる
私は、「生涯現役」という言葉がきらいだ。ある種、仕事に対する熱意からくるものであろうが、実際には一部の芸術家以外には当てはまらないものであると私は考える。
権力欲、あるいは仕事へのあきらめのなさを、こうした聞こえのよい言葉で包み隠そうとしてように感じてならないのだ。
私は、「生涯現役」という言葉がきらいだ。ある種、仕事に対する熱意からくるものであろうが、実際には一部の芸術家以外には当てはまらないものであると私は考える。
権力欲、あるいは仕事へのあきらめのなさを、こうした聞こえのよい言葉で包み隠そうとしてように感じてならないのだ。
7月5日、横浜でのドボルジャークに感心し、急遽チケットをとって、広上が指揮する日本フィル東京定期を聴いてきた(2008年7月12日、於:サントリーホール)。
今回は、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番ト短調とショスタコーヴィチの交響曲第12番ニ短調〈1917年〉である。先日のドボルジャークと同様、広上がシンフォニーをどう振るかとうことに注目した。
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