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September 13, 2009 - September 19, 2009

September 13, 2009

うまい歌

上牧温泉辰巳館で開かれた短歌人の夏季全国集会に参加したときのこと、初日夜の講演会は、まひる野の柳宣宏氏による「反戦後短歌—山崎方代のことなど」であった。その冒頭で柳氏が、「短歌人の歌人たちの歌はうまい」と話された。入会してまだ日が浅かった私にも、その実感はあり、改めて短歌人を読み返してみてやはり、「うまい歌」が多かった。

原則的に、うれしい指摘だが、「うまい歌とは何か」「短歌人の歌がなぜうまいといわれるのか」を突きつめずにいるのはまずいという思いもわいた。
「うまい歌」とはいったいどのような歌なのか。比喩が巧みで韻律、リズムもよいということだけなのだろうか。読み手に自身の発見を届けるということならば、素直に詠えばそれでよいといえる。そうであるならば、柳氏の「うまい歌が多い」という指摘には、何らかの批判が隠されていると解すべきか。そうした観点から、最近の短歌人から「うまい歌」を引く。

 紅白の山茶花ならび咲く見れば競ひて咲くとにんげんは言ふ
  高田流子(〇九年二月号)

句跨りなどの活用でリズムをつくり、「咲く」の繰り返しと「にんげん」というひらがな表記で印象づけている。なにやら彼岸での一場面のようにも思えてくる。

 奄美歌掛けて波音竪琴師里国隆師の影法師さ
  泉慶章(〇九年二月号)

「師」の字が三つある。「師」は一音なので、音声上、たたみかけてくる強いインパクトはないが、目で見れば、うまく配置され、その存在感は際だつ。高名な書家に書いてもらえば、この歌の価値はさらに高まるような気がする。

 うぶすなの女男の欅の頂になにか来てをり 春といふべし 
  武下奈々子(〇九年五月号)

ただ春の到来を詠っているようでいて、雌雄同株で雌雄異花を咲かせる欅に、複雑な男女関係を重ねている。この比喩は巧みだ。

この三首はそれぞれに個性的であり、歌たらしめるプロトコルが備わっている。そのプロトコルは誰もが理解可能なものなのだろうか。「その道の者にしかわからない歌ばかりでは、短歌は早晩、滅びる」というところまで、思いを馳せるべきなのであろうか。

(短歌人二〇〇九年九月号「三角点」掲載)

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