「1Q84」は、その後も、少しずつ読み進めているが、今日は、私の書棚にあった「ユリイカ」臨時増刊『村上春樹の世界』から...。
このユリイカは、書棚の取り出しやすいところに置いてあって、夜な夜なめくっては、様々な人々の村上春樹観を確認しているが、巻頭、翻訳家・柴田元幸が村上春樹にインタビューをしている。その中から、村上春樹の言を一部を引く。
まず長編小説について・・・
「長編というのは、・・・ある種の自己変革を要求するくらいのパワーのあるものじゃなくてはならないと僕は思うんです。・・・だから要するに、短編に使うマテリアルと長編に使うマテリアルというのは同じではないんです。」
これまでの村上春樹作品は、登場人物が時代を映す鏡として描かれていて、しかもその時代認識が新鮮なことが美点だった。
近過去小説のかたちをとっている「1Q84」は、その点からどうなのか。「Q」が「9」ならば、多くの読者が時代の再確認を迫られることになる。
村上自身も時代の再確認を「1Q84」を書き進めながら、「自己改革」しようとしているのだろうか。
もうひとつ、自身の小説世界について・・・
「だいたいいつもふたつの世界を内包しているんですね。こっちの世界とあっちの世界ですね。・・・でもそれとは別に、僕の意識のなかにはふたつの種類の時間性みたいなものがあるんです。こっちの時間性とあっちの時間性ですね。・・・限られた現実の時間性と、それからそういうものを越えた非リアル・タイムの時間性ですね。」
これはもう、「1Q84」を読み始めたものならば、理解可能な村上春樹の世界である。裏か表かわからないが、時代というものは、表出していないものに支えられ、可視性をもつようになる。そのことを村上春樹は、「1Q84」で立証しようとしているのではないだろうか。
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