短歌

December 03, 2008

12月の短歌作品

小春
 
 パンジーにリカちゃんの名の冠せられ「ほしい、ほしい」と女児は叫びぬ

 「どのパンジーもみーんな、おんなじ」処分品コーナーに選る名無しのパンジー

 ツルバラに蕾がみっつふくらみぬ今年最後の選定をおえ

 水道の蛇口にうごかぬいっぴきの蜥蜴に免じ水やりを止す

 葉のかげにあかき実の見ゆ万願寺唐辛子の実は西日にひかる

 四十年余の歴史をふまえつつさぐる移転の準備・手順を会議は

 地下四階にねむれる酸性紙の資料ふれればはらはら足下に散る

 史料とはよべぬものゆえ大半は処分のされんコストをかけて

 移転先にゆけぬ資料はまとめられもやされ温暖化ガスを成す

 担当者の欄にわが名の記さるる資料一編ぬきだししまう

 着々と作業はすすめられてゆき師走むかえるわれ関せずも

 宅配の配送車両は早々とT字路を去りわが家に寄らず

 メール便くばるバイクを避け気づく夜空に木星金星ならぶ
  

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 10, 2008

11月の短歌作品

香気

 病人のあまたの足が踏む床に矢印のあり左右に分かる

 指示されたるは右か左か赤きラインは採血へのみち

 社員章かたぶく胸に手を当てて背中を丸めおとこが過る

 そのあとをつけるわけでないけれど向うところは大凡おなじ

 午前十時すぎて初診受付にまだ笑顔ある老夫婦の立つ

 医療費の未払分を確認する自動再来受付機なるは

 ディスプレイに大きく受付番号の示さるるとき逃さぬように

 名を呼ばれぬままに入室するおんな髪より匂う秋薔薇の香

 診察室より出てふたたび文庫本読みふけりたるを余裕というか

 外科医には外科医としての領分のあれば切除を最善とする

 断定はせず最悪の事態も踏まえつつ語りつづける手術の則を

 結論はスタバを飲めば出るだろかショット追加のソイラテを飲む
    

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 27, 2008

音の河、言葉の河

音楽に寄り添いながら創作活動を行っている文芸家といえば、谷川俊太郎を真っ先にあげなければならない。谷川は、『モーツアルトを聴く人』と題する詩集を上梓しており(一九九五年)、また二〇世紀を代表する作曲家、武満徹との深い親交は有名である。
『モーツアルトを聴く人』の「ふたつのロンド」より、一部を引く。

    ・・・
 ケッヘル四八五番のロンド二長調
 子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
 ぼくの幸せの原型
 だが幼いぼくは知らなかった
 その束の間が永遠に近づけば近づくほど
 かえって不死からは遠ざかるということを
 音楽がもたらす幸せにはいつもある寂しさがひそんでいる
    ・・・

五分ほどのこの曲は、軽快なリズムを保ちながら、長調から短調へ、また長調へとめまぐるしく調性を変えてゆく。内田光子の名演奏が忘れられない名曲である。
そういえば武満徹は、音楽学校にも通わず独学で作曲を学び、初期における発表の機会は、作曲家グループ「新作曲家協会」などに依った。短歌における結社のような組織が、音楽の世界にもあったということだ。
武満は、音楽の作品を書くとき、「ことばをいっぱい書く」という(高橋悠治との「対話」ユリイカ一九七五年一月号)、その理由を武満は、「自分のなかにもやもやしたものが出てくるから」としている。心のなかのもやもやを響きにしていく作業が、武満にとり作曲という行為だったのだ。そして音楽と言葉は、合せ鏡のような関係だったのだろう。

短歌の世界では、音楽に寄り添いながら創作活動を行った身近な存在として、永井陽子をあげたい。『モーツアルトの電話帳』『ふしぎな楽器』などの歌集を残した永井の作品を読めば、永井の音楽体験が短歌作品に昇華していることがわかる。

 譜を抜けて春のひかりを浴びながら歩む∫(フォルテ)よ人体のごとし
 梅雨晴れのふとまばゆさを増す空にモーツアルトの靴音がする
                         『ふしぎな楽器』

引いた二首とも、実景が音楽と結びついた秀歌である。一首目は、たくさんのフォルテ記号が草原に飛び出していくような、春の目覚めのすがすがしさが表現されている。二首目は、たとえばケッヘル四八八のピアノ協奏曲、第三楽章(これもロンド形式)をモーツアルトがハミングをしながらやってくるような情景が描かれている。自然に心が投影し、そして「フォルテ」や「モーツアルト」などの比喩によりリアリティを強める。

基本的に音楽には、リズムとメロディが必要である。これを短歌に当てはめれば、リズムは当然、五音七音の構成から引き出されるものであり、これがなければそもそも短歌とはいえまい。
問題は、メロディである。声を出して読まれることのなくなった現代短歌では、三十一音のなかに持ち込まれた言葉と言葉が擦れあい響きあうことで生じる、ある種の揺らぎのようなものだと解すればよいか。その観点からあらためて永井の作品を読むと、音楽関連の言葉が一首の中になくても、いずれも音楽的であり、リズム、メロディを楽しめる。

武満は、「作曲するということは、われわれをとりまく世界を貫いている《音の河》に、いかに意味づける《シニフィエ》か、ということだ」と言う(『武満徹著作集1』「ぼくの方法」)。短歌の実作者は、《言葉の河》を強く意識しなければならないということだろうか。

(短歌人2008年11月号掲載)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 22, 2008

岡井隆「私の履歴書」第21話

岡井氏の「私の履歴書」も、はや第21話となった。30話で完結なので、3分の2を超えたということだ。
これまで読んできて、最初のうちは、歌人ではないとわからない、作歌のこと、歌壇のことなどが多く、これでは読者はつかないと危惧したが、編集者の助言を受け入れたのか、解説を挟みながら、この特殊な世界を自身の人生に沿って解説する、わかりやすい文章になってきた。

今日の第21話は、岡井氏の失踪にまつわる部分である。

Continue reading "岡井隆「私の履歴書」第21話"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 14, 2008

10月の短歌作品

空際

 ブロック塀に沿いてざわめき伝わりぬへいじつまひるま打鐘(じゃん)におどろく

 打鐘(じゃん)のまた鳴る高台のまちゆけば袋小路なり子猫の惑う

 一角は住宅街にかわりはて花月園とう地名が残る

 建売の四軒あらたに売り出されマーチとヴィッツがすれ違えない

 アルファロメオのエンブレムにガムつけし少年おとこらに取り囲まれて

 東名と新幹線に挟まれたる小さき丘に墓標がならぶ

 かすれたる〈侵入無用〉の文字のあり空見あぐれば生と死の際

 暗がりに踏み跡ひとすじみとめらる生者の伝う蜘蛛の糸かな

 〈ふぁん〉と打てばたちまち〈fan〉(熱狂者)、あるいは〈fun〉(楽しみ)を候補としたり

 ことりえの指定変換かぐわしく〈らぶ〉をloveに変える愉しみ

 猫四匹おもいおもいに餌を食み寝ては遊びぬ秋の夜長に

 猫しばし羽に夢中の夜であり満月の夜あわれ人類

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 02, 2008

岡井隆氏「私の履歴書」に登場

ふだん購読している日経新聞のなかで、かならず読む欄がある。それは「私の履歴書」である。

70~80年生きてきた著名人が、生涯を自身の筆で振り返る。1956年から連綿と続けられている企画で、私は1957年生まれだから、私の人生より長い、長寿欄ということになる。その欄に、歌人の岡井隆氏が登場した。毎朝の楽しみがひとり加わったが、医者でありまた歌人である氏が、30回の連載のなかでどう人生を振り返るか、興味は尽きない。

しかし、である。

第1回、いきなり叙勲関連の栄誉などを羅列されると興ざめである。最も問題とされている皇室との関係についても、胸を張って語られると、戸惑う。高齢になればなるほど、人間くさく人生を振り返ることは難しいだろうが、物事を客観視し、主張するタイプの歌人、岡井隆である。2回目以降は、心の奥底にあるものをストレートにさらけ出してもらい、というのが率直なところだ。

おそらく岡井氏の言動は、ごく一部の側近といわれる人たち以外、誤解されていると思う。私も誤解しているひとりであろう。それを払拭する」ような、まことの岡井隆を連載のなかで示してもらえればと心から願う。

因みに、最近の「私の履歴書」のなかで、最もすばらしいと感じたのは、証券界のドン、田淵節也氏であった。田淵氏が生きていたら、現在の米国発金融不安をどう論評しただろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 13, 2008

9月の短歌作品

立秋

 吹きやまぬ東風をうけ今朝もまた雷雨の予報に坂道くだる

 芙蓉の咲く路地裏にあり麻雀荘《じゃんそう》の門はとざされ冷気を感ず

 バス道の痕跡として置かれたる椅子に二本のスプリングがたつ

 玄関にねむれる猫の耳うごくなにやら寝言をいいそうな猫

 八月は紫陽花狂い咲きをしてその残骸をすべて切り込む

 一日《いちじつ》を家族総出の庭掃除にあてお向かいの夏は終わりぬ

 数株の蕺草《ドクダミ》のこる南東の角地に雨粒みあぐるばかり

 子育てをおえし雀らトランスを去り草むらに虫をついばむ

 北台より見下ろす影は白雲のものなりふたたび真夏日は来ぬ

 苦瓜の熟れたるなかに赤き種みえ隠れす西日をうけて

 眼前にアキアカネの飛ぶうっすらと埃のつもる手すりにとまる

 サギソウの枯れたる花を指先につまむ明日より躊躇はしない

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 09, 2008

8月の短歌作品

省察
 
 一リットル百九十円のハイオクを満タンにして駆るドロップヘッド

 屋根をあけ『田園』を聴く県境をこえて異界に夜は深まる

 上越の風わが頭上をふきぬけるしばし異界の音をたのしむ

 省察的実践としてこの足とこの目で追わん復活蒸気機関車《じょうき》を

 単線非電化磐越西線《ばんさい》に罐は走りぬわれも走りぬ

 黒き雲ずっしり北をうめ尽くし稲妻はしる山間をゆく

 県境に激しき雨を降らせたる雲は赤やむらさき黄に塗られたり

 強雨のち霧、薄日さし、また曇のち雨、ポイントいまだ決めかね

 ムービーをとる者スチルをとる者の視点ことなりロケハンつづく

 かつてSONYにデンスケとう音のみをとる機材のありき

 ずい道の出口見下ろす中腹に特養のあり手をふるわれか

 やがていまを忘るるとき来てもこのブラフト音は忘れじ

 津川駅に給水をするC57180《しごなな》を追い越しS字のカーブに向かう

 ミツバチのごとくさだめしポイントは荻野駅の手前踏切

 先客に肢体不自由の同郷のひとおりともに汽笛にこたう

 飯豊みえぬ平瀬集落にかるがると七両編成を牽く罐は美し

 ダチョウ園の脇にからすが騒がしく割れたる卵をむさぼる

 米国の技術者による設計の橋脚いまも列車をわたす

 阿賀野川の流れはにごる見あぐれば石炭ガラのぱらぱらとふる

 山都にて撮影終了のメールうつせいろ二枚を平らげしのち


 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 10, 2008

7月の短歌作品

資源

 玄関先に待っていましたというばかりのおとこが古紙をあつめてしまう

 アルミ缶スチール缶は私道にてあつめる児童育英のため

 週に二度資源ゴミなるゴミあつめ資源さらうはチャイナのごとし

 残されしもののかずかず、髭の濃きおとこ、あるいはその他無価物

 原形をとどめぬものの美しく雑瓶こなごなになるは悲しく
 
 いっせいに立ち上がりたる客のあとみどり色したマドラーいっぽん

 紫陽花に終日ひかりのあたらざる葉叢のありてみどりしたたる

 マドラーも有価物なる扱いをうけるすべてを資源化せよと

 ゴミらしきもの爪先にてスタッフのひろうランチタイムは終わりぬ

 銀色の紙くず少女がひろいたり緊急停車のアナウンスひびく

 紙くずを掌にのせもてあそぶ少女よ電車は何時うごきだす

 元台風と元ホステスの違いなどかんがえ夜半の霧雨のなか

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 15, 2008

6月の短歌作品

制限

 五号車の車窓にうつる朝焼けをみつめる携帯なりつづけるなか

 眠りこけたるおんなの手元に携帯はなりつづけたり、あゆのメロディ

 汽笛ならぬ新橋駅に降りてゆくおんな携帯を車内にのこす

 気づきたるはわれのみであり携帯を壊す?捨てる?大事にしまう?

 東京駅三番ホームに駅員はおらず携帯ベンチにおきぬ

 六時よりお菜はならべられはじめ冷たきものが最初にならぶ

 温かき煮物は里芋、ヤングコーン、人参もられて梅雨寒の朝

 眼前にならべられたる糖質をたべるわけにはいかぬ療法

 炭水化物糖質制限食療法「慣れればどーってことはない」とぞ

 クリームパンあんパンだいふく「金輪際たべない」などとわれは誓いぬ

 通いなれれど月曜の階段さいしょの数歩がきつい
 
 消すことのできる赤のボールペンはしらせ部下のプランをなおす

 痕跡のかすかにのこる獣道ガード下にも夕陽はあたる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 10, 2008

小池光新作

文藝春秋の最新号(2008年7月号)に、短歌人編集人の小池光の最新作8首が掲載されていたので、紹介する。文藝春秋は今日発売で、著作権法に触れるので8首中4首を取り上げる。

 さまざまなこと嵐にまさり押し寄せて今月もはや二十五日ぞ

小池光の短歌の特長のひとつに、漢字とひらがらのバランスの良さがある。この歌では比較的漢字の多いが、「押し寄せて」という句の通り、漢字のもつ凝縮感で、押し出しを強めている。
言葉の選び方で参考としたいのは、「嵐にまさり」であろう。普通なら、「嵐のごとく」としてしまうところだ。「ごとく」「ように」の直喩表現は食傷気味である。「ごとく」等を使わずに、読ませるようにしなければならないということを気づかせてくれる。

 芍薬のつぼみにのぼる蟻ひとつゆふぐれの風あたらしき中

花の咲く季節は、同時に虫たちの活動が活発になる季節でもある。蟻は小さいが黒いので、華やかな色の花弁に歩いているところは、容易にみつけられる。それを何の感情もはさまず、淡々と詠った歌である。
むしろ、花弁をゆらす「ゆふぐれの風」という句が、作者の感情を表しているポイントとなり、読みやすい自然詠としている。小池作品としては、存外めずらしいタイプの歌かもしれない。

 昨年よりいかにもあはき色あひに灯りそめたる庭の紫陽花

これもそのまま読めば、ごく普通の自然詠であるが、「いかにもあはき色あひ」の「紫陽花」をみつめている作者の境涯が投影されているように思う。
植物の成長の変わり様は、温暖化の影響という見方もできるが、この場合、永年の教職を辞した作者自身の心の変化のようなものが、この歌からは感じられるのである。

 掌(てのひら)のうへに五月の小鳥ありなんとかなしきこゑに鳴くかも

雀の雛でも拾ったのであろう。作者はそれを掌に乗せて観察をしている。雛の立場からすれば、親鳥から離れてしまった異常事態に鳴くほかない。
その鳴き声を単刀直入に「なんとかなしきこゑ」と表現した。この世で、この雛ほど悲しく鳴くものはいないという、やや大仰な表現が、新しい生を生み出す五月というさわやかな季節と対比されている。

短歌人で書かれている作品に比べると、読みやすいという印象があるが、それは対象が一般読者と短歌人会員の違いから来るものだろう。なかなかの一連である。ご一読を。

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 11, 2008

5月の短歌作品

春雷

 春雷に自転車一台たおれたり松屋牛丼におうあたりに

 花見にはまだはやきまち夕暮れて天にとどかぬクレーンの数機

 排煙の跡のこしたる煙突のもとに息づく綿毛蒲公英

 もも組さんさくら組さんゆり組さん子らの笑顔はコンクリのなか

 人おらぬ歩道に雀は群れをなし桜を愛でる暇などあらず

 ありふれた風景としてロータリのぞめば蒼き空ばかりが冴え

 あかき車に吸い寄せられて羽虫まう燕のかげにおびえるように

 ティッシュくばる青年沈黙したるまま動機なき殺人者のごとく

 街宣車は検問にあい止められつ野鳩の路上にさまよいあるく

 街路樹の新緑ふかき影をなす裁判員などなりたくはなし

 三体のマネキンの着る三着に暖色はなく春のふかまる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 12, 2008

4月の短歌作品

 漢字

 財務省前の庭園春のきて造園師らは雑草をぬく

 慌てずにぬく姿よしはるかぜに急かされわれは会議へむかう

 文化審議会臨時委員の辞令うけ月に一度のおつとめ果たす

 開会のこえは湾岸署内にてながるる指令のごとく響きぬ

 ケイタイに開花情報伝えらる日本語教育小委員会の席

 ウェブには蠶のあまたあらわれて頻出漢字三十一位

 画数の多さとかたちが好まれてテキストアートに蠶あふるる

 第一位は人、少子化のすすむ日本に文字のみの人 

 はめ殺しの窓にかすかに映りたる夕陽コローの絵画のごとく

 春は別れ、その感慨を押し殺すマツモトキヨシ閉店間際

 短髪に富士額は目立ちたりせいねん路地に氷切りおり

 オフィス街に七日と八日「花の日」の開かれ桜草は咲きつぐ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 10, 2008

3月の短歌作品

節句

 西空に寒気ともなう雲のあり「手がつけられん」と暴落、TOKIO

 西空のくろき雲みる視界には会津銘酒のネオンサインあり

 稲妻はひかれど何も音のせぬ世界ノオワリハコノヨウナモノ

 時を置き風向きかわる北風に音せぬ車がわがわきをすぐ

 脇の下に潜り込みたる飼い猫としばしねむるを春眠という

 駅頭にHIROTAは桃の節句ゆえ桃色の箱あまた用意す

 月曜夜オヤジだらけの駅頭にHIROTAは時をもてあましたる

 娘もたぬ身に桃色の花びらのひとひらとまり三月三日

 クロネコの大和のひとは突然のはげしき雨に荷をかかえこむ

 入り口に灯る電球ゆらゆらと冷たき雨に湯気をあげたり

 定期異動気にするものらはこの季節はたらくはたらく節句働き

 アブのとぶ花壇にねむる風よわき日溜まり人と白猫ねむる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 12, 2008

2月の短歌作品

冬日

 霜柱を踏みしめるたびに響きたるザクザクとうおと冬日の証し

 踏みごたえある高さまでせり上がり「昭和に戻った気分ですこと」

 キセキレイ勢いつけて飛びたちぬ舗装路わずかにへこむあたりを

 舗装路に老婆のよろけ尻もちをつけば「だいじょぶ?」「だいじょぶ!」の声

 坂道をのぼる老婆は朝焼けの空へとむかい消えゆくデジャ・ヴ

 優勢なる高気圧に覆わるるけさは斑霜寒気のゆるむ

 薄氷にたつ十三羽池の上にうかぶ八羽のユリカモメなり

 アイガモのゆっくり斜面をのぼりゆく天路のごときいっぽん道を

 噴水の元栓しっかり締められて楓落ち葉と三毛猫あそぶ

 まだら模様の雪原徐々にひろごりて節分蔡は中止となりぬ

 右足をやや前にして佇みて雪うくるままのマガモは一羽

 また白きもの混じりたり坂東の鬼神はまちに詩情をあたう

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 18, 2008

1月の短歌作品

曇天

 雲上より急下降する心地して仕事始めに電車はこない

 煙草くさき髪の女がまよい込むここ六号車に座席はあらず

 いまにも降り出しそうな空みあげ埃まみれの眼鏡に気づく

 雑誌売るホームレスは多忙にて涙目の猫などかまわず

 ドロップのようなる色の電光の文字のながるる負の符号もち

 年初来下落のつづく東証にしっかりせよと弁才天の声

 アメリカが風邪で寝込めばニッポンは肺炎重篤、嗚呼TOPIX

 グローバル企業に海外収益は溢れど日本に使い途なし

 証券会社店頭ボードを背景に今宵も個人投資家がぶつ

 エビちゃんの睫毛のようなる反転をねがいて今年の松飾りをとく

 息づかい聞こえぬものに打開策うてるはずなく麻花童《まーふぁーる》食う

 肉まんの肉汁ゆたかにあふれだす温き寒中灰色の雲

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 11, 2007

12月の短歌作品

南行

 一車両にベイビーひとり居てくれるだけで世界はハッピーになる

 父白人母黄色人種出生地主義ゆえ日本国籍の子よ

 笑顔ふりまくベイビーの見つめたるさきに北京語にいさんねえさん

 赤ら顔の男むっつり目を覚ましハーフのベイビーとご対面す

 笑顔消えむずがるベイビー抱きあげるわかき父親「あぶない」「アブナイ」

 ひと言も日本語はなさぬ母親は降車してゆく品川駅に

 半円をえがきて止まる円柱のかたちがしばし視線あつめる

 リップクリーム転がりいましこんこんと眠るおんなの足下にある

 蹴られたるリップクリームわが靴にあたる南行電車は速度をあげて

 横揺れの激しき区間をとおりぬけ真南にむく南行電車は

 進入の速度わずかにはやすぎるリップクリーム東へ西へ

 葬祭場チャペルの広告ならびいる南行電車の師走静けし 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 13, 2007

マラソンの歌

四十二・一九五キロメートルの舞台裏

古来、人間が一日で踏破できる目処はおおよそ四十キロメートルとされている。江戸時代、旅人の一日の行程は十里であり、『走れメロス』で設定されたシラクスの市とメロスの住む村の距離も十里である。

 そのむかし人が日に日に歩きける十里のみちは真実遠き     小池光『草の庭』

Continue reading "マラソンの歌"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 10, 2007

11月の短歌作品

 西下

  珍しく晴れたる朝「西下」とう言葉のいみを問われておりぬ

  数名が降り数名が乗り込みし十二号車のすみ子犬がなきぬ

  見あぐれば雲不規則にながれゆく谷地ふかくまで黄金のたれて

  尾根に沿い送電鉄塔うち立てる全土あかるき日本のために

  フレア出やすき五センチのレンズ携え京のまちゆく

  配管のゆくえ異なる給湯器二台ならびてうなりをあげる

  いっぽんのフィルム撮り終えお抹茶と落雁によりしばし息つく

  桂川に沿いてのぞみのゆくあたりマンション群は西陽に焼かる

  羽田まで止まらぬ快速とび乗れば死出立のごとき娘に出会う

  コスプレにしてはリアルな西洋の幽霊風のメイクでありぬ

  警戒船赤旗かかげ回り込みレジャーボートの侵入ゆるさず

  ふと神戸炎上の記憶よみがえりつくづく怖し冬の落日                            

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 08, 2007

ちょっとした感慨

短歌人会に入会してちょうど10年が経過した。1998年の1月号から作品が載っているはずだが、この間、例月の作品は一度も休詠はしなかった。とはいっても、それほど誇るべきことではなく、締め切りが近づけば、重い腰を上げ、なんとかまとめるという10年だった。ゆえにあまり進歩のない歌ばかりつくってきたことになる。

昨日、同人1への昇欄の通知が来て、率直にうれしいと思った。所属する団体の事務局で課長、次長、部長と昇格をしてきたが、それほどうれしいとは思わなかったことを考えると、ちょっと意外な自身の側面を知った。

これからも短歌とは、ある間を保ちながら付き合っていくことになろう。その間の取り方が、存外難しそうだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 11, 2007

10月の短歌作品

平和
  
  渋滞の報酬として知りえしは小泉純一郎事務所の在処

  お国入りすること少なき元総理ヴァグナー歌劇「リエンツィ」好む

  護民官らしき言動なつかしくポスト安倍には立たぬ小泉

  死の気配あふれし病室ことごとく崩されつむじ風の舞いたる

  いびつなる土地のあらわる救急指定塚越医院解体ののち

  あまたひとを看取りし病院は跡形もなく死霊もろとも

  この辺りの決まり事なりマンションは中層にして着工まぢか

  真直ぐに歩みて誰ともぶつからぬ今朝は平和なプラットフォーム

  我先にと空きたるところに殺到し誰も座れぬビミョーなる間

  グレーゾーン金利うばわれても笑顔わすれぬ消費者ローンの広告

  イヤホンをはめたるままのハミングは一小節節ごと転調重ぬ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 13, 2007

安倍総理辞任、その3

 色あせし文藝春秋最新号「内閣改造」by赤坂太郎

Continue reading "安倍総理辞任、その3"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

9月の短歌作品

残暑

 『赤光』よりポストイットをはがしたり桃を食みつつ山となすまで

 水まけば黄蝶三頭まいはじむそののち二頭きえてしまいぬ

 アブラゼミくわえたるまま夏空にとびたつ黒色、嘴太烏

 烏二羽なにやらつつく草陰に子猫ちいさくうずくまりいる

 頭上にはヘリの飛びかう、炎天下〈子猫救出作戦〉はじまる

 掌にのるほどちいさき猫の子は目を見ひらいて吾を見つめる

 参道をゆくひとの傘いっせいに開きそれぞれ秋なす朝

 日本奇術協会元会長の訃報は秋の風に吹かれて

 〈軟式野球・ソフトボールのみ利用可〉とある野球場泥にうもるる

 雨あがる名古屋の町のくろき屋根かわらの屋根の美しきかな

 徐行のぞみの渡りゆくさき老人と鷺かげおとす川面また雨
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 12, 2007

安倍総理辞任、その1

 眠りいる受付嬢の首筋にムシ這う総理辞任会見さなか

Continue reading "安倍総理辞任、その1"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 08, 2007

8月の短歌作品

盛夏

 あさがおに氷の盛られすこしずつ氷のとける音に聴き入る

 御殿山ガーデンオフィスマンション群みあげかえりぬ梅雨のさなかに

 酒くさく空調きかぬ車中にて平然とただ抱きあう男女

 「こんばんは横浜港の花火」ゆえ南行電車は徐行に徹す

 …いつになれば発車するのか…次々とひとの乗り込みわが背にせまる

 大森をすぎしあたりで酔客が倒れ込みたり二号車後部

 こうなれば音量をあげiPod聴くほかはなく中島美嘉よ

 圧縮を解き放たれて響きたり.AACより切なき歌声

 招待状に付されし地図はあいまいなる記述の多くあるき続ける

 男坂にまよい込みたりこの地図に男坂はなく更にまよいぬ

 盛夏、夕、汗はとまらず男坂の底方よりみる母子草かな

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 03, 2007

三者三様の修辞

修辞は、詩を詩たらしめる機能を果たす表現手法と一般には考えられている。しかし歌人は、そのようなことは意識せず、言葉の連鎖のなかで、結果的に修辞となる効果的な句を選び出す。例えば、啄木のこの歌。

Continue reading "三者三様の修辞"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 11, 2007

7月の短歌作品

日常


 丸ビルのおとなり新丸ビルの建ちひとの流れはふたつに分かる

 核シェルター、あるいは異端者収容所になりうるほどのひろき地下道

 あみだくじに導かれたる心地してブランドショップをめぐる回廊

 買うべきも買いたきもなく回廊に立つおんならのほそき顔立ち

 照り雨のミストのごとく降りそそぐ平川門はいまし閉ざさる

 遊歩道には遠巻きにする数にんのみゆプラタナスのもとの薄闇

 点滅灯きえて救急隊員のヘルメットにひかる雨粒

 見あぐればイタズラ書き禁止とうイタズラ書きに隠る公約

 緑陰にモナカアイスの頬張りぬ蟻すう匹に恩恵を垂れる

 日曜の十五時をすぎ陽のかげり家族は明日への備えはじめる

 「まだ遊ぶの」と泣く幼児らに明日はなしアカミミガメは池水にもどる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 18, 2007

6月の短歌作品

水底

 新緑のまぶしき季節に浮かびたる軽井沢駅にいますべりこむ

 〈あさま〉より降りたるおとこおんならに阻まれみえず浅間山頂

 千曲川ながるるままの時をもち白くあかるく空をうつしぬ

 人影のみえぬ左岸に腰おろす小舟の朽ちて墓標の溢る

 濁流に運ばれ来たりし春楡の右岸にそだち若葉しげらす

 イヤホンにしずかに流れる〈無伴奏〉鼠橋より水底のぞく

 ロータリに水の撒かるるアイドリング・ストップ・バスのやがてあつまる

 文具屋の隣にタロット占いの店ありうすきベールの奥に

 託宣に聴き入るおんなの背後には人通りのありみなのぞきこむ

 首しげく左右に振られ薄暗き部屋に光は射すはずもなく

 俄雨にわずかに傾ぐ傘の列、西から東へひとは急ぎぬ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 29, 2007

啄木の帰郷

今年は、啄木が岩手渋民を離れてからちょうど百年だという。
今日の日経朝刊最終面でで、新井満が自らの啄木体験を記しながら、啄木の歌に曲をつけ、地元の小学生に歌ってもらったことが書かれている。

Continue reading "啄木の帰郷"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 14, 2007

4月の短歌作品

早春

 鶯のすがたは淡く裸眼にも映りき木立に葉も花もなく

 起伏富む湖畔のみちに獣らの侵入ふせぐ電線はらる

 電流の流るるラインそのたもと蕗の薹みっつ顔のぞかせる

 虹鱒をねらいて腰まで浸かりたるフライフィッシャー確立わるし

 船外機のエンジン切られたるのちのざわめき「やっと、やっと、やっとだよ」

 湖畔にはプリンスホテルのリニューアルオープンをまつ春まだ浅し

 銀座にて旦那とよばるる男らは桜と無縁の顔してあゆむ

 スワロフスキー身につけ女が通いたる並木通りに花売りあふる

 ねえさんがからんと落とししケイタイはちりぢりとなり花弁のごとく

 花冷えに散る桜花かがやける長寿が幸といえぬ時代に

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 12, 2007

松村由利子の世界

月刊文藝春秋の最新号(2007年4月号)で、松村由利子の作品に出合う。最近は総合誌に目を通すこともなく、ましてや各種の短歌賞の受賞作品にも関心を持たず、この人が第7回現代短歌新人賞に選ばれていたことを今知ったほどだ。

Continue reading "松村由利子の世界"

| | Comments (1) | TrackBack (4)

March 11, 2007

3月の短歌作品

東京

 雨音に導かれたるレースかな「42 .195 km(シニイクカクゴ)、もうすぐおわり」

 東京の海に潮の香あることをしばしたのしむ海辺へゴール

 数日をへてのち一気におそいくる気怠さそれは長駆の証し

 今日もまた降りやまぬ雨ひと多き中央通りにランナーおらず

 〈世界中古カメラ市〉にさそわれてあゆむ銀座に色濃き意匠

 四丁目の二度の左折は人生の一仕事として記憶にのこす

 十日後も気怠さのこるゆえこよい鍼十数本をうたれてねむる

 エルタワー十九階より見おろせる靖国通りに車列うごかず

 乾門はな咲くまえの桜木は枝ぶりのよく雨はあがりぬ

 われにバナナ、妻にはスイートピーの贈られてともにすっかり色は変わりぬ

 変わらぬは完走メダルの真鍮のごとくくすんだ西空の月

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 13, 2007

2月の短歌作品

夜空

 期待値を超えることのなく一日はすぎ異国より大彗星の報

 マックノート南半球にあらわれて髪なびかせる夏の夜の夢

 西陽あびニコンハウスにならびいるマニュアルフォーカスレンズ数々

 数寄屋橋ゼブラゾーンに二の腕をさらす女がわれを追い越す

 味彩のオヤジの出前をやり過ごす並木通りに支那ソバにおう

 旧京橋瀧山町ビルヂングのくすみ啄木あらわるるかも

 鼠蹊部のいたみ右足引きずりてあきらめ下る中二階より

 昇降機メーカーの名をさぐりつつスプートニクに乗りこむ心地

 九十分コースに身体あずけたりあちらこちらのいたむ身体を

 猫餌をたずさえとうに陽の落ちし路地裏にたつ鼠よこぎる

 とめどなく食欲わきでる猫といて花椿通りにみゆる半月

 かつて池谷・関彗星にわきし日本の空に星なく

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 10, 2007

1月の短歌作品

空想

 あたたかく羽虫の群るる走るほどに汗しおからくなりてゆくなり

 廃屋の崩るるままの漆喰にアリ数匹のまよいたるさま

 噴水も水遊び場も水は涸れイブの公園、花は山茶花

 閂を足がかりにして裏門を越えてゆく猫、さび色の猫

 〈黒檀の馬〉のおはなし今日のおはなしとして初春によむ

 千一夜物語のごとく国々に似たるおはなし満ちているとぞ

 乱高下したる市場のさまを見つナッシュ自伝再読最中

 むき栗を食べつつ開封してみれば数百円の配当通知書

 定期券販売所にはあたらしき日捲りがあり既に七草

 森羅万象、メトロにてみる夢それはただの空想

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 26, 2006

ファンサブのすすめ

先日、マサチューセッツ工科大学助教授のイアン・コンドリー氏と意見交換をする機会を得た。文化人類学者のコンドリー氏は現在、日本のサブカルチャーを研究対象にしている。今回、コンドリー氏から教えてもらったのは、「ファンサブ」というネット上のブームのことだ。

Continue reading "ファンサブのすすめ"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 11, 2006

12月の短歌作品

階調

 北風にはこばれ雨粒砂粒の激しくあたる嵌め殺し窓に

 終着にちかづき車窓に過ぎゆくはラブホあるいは専門学校

 おくれたる〈スーパーひたち〉をまつ人の群れ星雲のごとく動かず

 月のまだ西空にある朝かな飛蝗のよこを蟻とおりすぐ

 笛太鼓ギターの音の間の抜けて格差是正をもとめデモゆく

 地下鉄の駅にいたれる坂道のつむじ風舞うところをのぼる

 三年坂くだり来たれば累々と屍のごとく落ち葉しずまる

 千円札かぞえる女の脚ほそし銀座の駅にするり降りゆく

 無防備なる看板もちの背後よりレリーズを切る独りのわれは

 モノクロの写真の暗部に禿頭さする男のぼんやりうかぶ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 11, 2006

11月の短歌作品

遅延

 幾重にも水の流るるいっぽんの流れになれぬ安倍川下流


 鷺二羽のわかれて食餌にあゆみ来ぬもはや陽のなき合歓木町に


 一ヶ月先まで食えるアンパンを頬張る遅延ののぞみ車中に


 轢死体処理する作業に手間取りて新幹線は遅延をかさぬ


 マンションは〈単身赴任歓迎〉の垂れ幕かかぐ、徐行の最中


 迷宮への入路のごとく変電所〈立入禁止〉に鉄十字の印


 スピードをあげつつ汗をぬぐいたりきいろのカンナの咲く霜月


 傷負いし仏陀の身より血はながれそののちカンナはあかく咲く花


 そのあかの色素を抜きて黄色のカンナつくらる仏陀いずこに


 狂い咲き各所にみられ温かき街に溢ふるはいじめのニュース


 南風にのりて雨粒右肩にかかりそのうち鼻にもかかる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 03, 2006

吉田秀和さん、お帰りなさい

吉田秀和氏の「音楽展望」(朝日新聞)が復活した。四季毎に一回という限定だが、ともかく再び、吉田氏の音楽評論が読めるのは幸せである。

Continue reading "吉田秀和さん、お帰りなさい"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 01, 2006

教師歌人が詠う生徒

結社コスモスの奥村晃作氏は、私の中学三年の時の担任教師である。社会科教師として独自の視点で授業を展開、憎めない性格で人気があったが、どこか醒めている感じを与える先生だった。

Continue reading "教師歌人が詠う生徒"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 19, 2006

10月の短歌作品

静寂

 南西の森にあまたの鴉すむ天敵もたぬもののさざめき

 猛禽類を天敵として優しさの満ちるまちには鴉のふえる

 ソとラの音つかいて鳴き真似してみれば鴉いっせいに飛び立つという

 暗がりより海猫の声ひびきたり、みなとみらい線の終着

 凍りつくほどの静寂、地下道にハイヒールのおと遠ざかる

 文明を受け入れるためにつくられし遊郭いまのハマスタあたり

 最下位のベイスターズなるチームにも声援おくる人のあつまる

 風雨なおつよき横浜、ここちよく爆弾低気圧に包まれ

 ヒマラヤスギ青葉をたっぷり落としたり大雨強風のちの憂鬱

 舞う枯れ葉つかもうとしてよろよろと幼子も舞う桜並木に

 ライナスのごとく部下を翻弄す北東隅の部屋の静けさ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 21, 2006

西村美紗子歌集「猫の舌」を読む(8)

「事故、自動車」と題する23首より。もらい事故で自家用車が破損し、作者自身と娘さんが怪我をした際の一連。こうした作品はリアルでわかりやすいが、作者が起きた事柄を第三者的に整理できているかがポイントとなる。

Continue reading "西村美紗子歌集「猫の舌」を読む(8)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 12, 2006

9月の短歌作品

残暑

 胸元に日焼けのあとをさらしたるおんな舟こぐ環状線に

 眼前に老いも若きも「ワッハッハ」みなオバチャンの顔してわらう

 雨上がる関東平野にかえりきてエンマコオロギの初鳴きをきく

 白猫も黒猫も棲むほそき路地こぼれ種よりペチュニアの咲く

 軽鴨の数たしかめて欠落のなかに息づく生をよろこぶ

 点々と睡蓮の葉の黄ばみゆくひと夏かぎりの命たばねて

 炎天下芝生にもぐる雀らは虫をついばむ人おそれつつ

 いっせいに飛びたつ雀に驚きて幼子ベソをかく北の丸

 アキギリ属シソ科サルビア、コンテナにくたびれ残暑の重たき空気

 巻雲の光れる西空見あげつつ狗尾草を根こそぎ抜きつ

 蚊を一尾にぎりしめつつ家に入る秋刀魚焼かるる香(かざ)に救わる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 09, 2006

西村美佐子歌集「猫の舌」を読む(7)

「黒皮手袋」6首より。面白い試みのなされている一連だ。

Continue reading "西村美佐子歌集「猫の舌」を読む(7)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 29, 2006

絵画的短歌を楽しむ

この原稿を書いている五月下旬、横浜では睡蓮の花が咲き始めた。睡蓮といえばクロード・モネ(一八四〇- 一九二八)、モネといえば睡蓮というくらい、モネは数多くの「睡蓮」を描いた。

Continue reading "絵画的短歌を楽しむ"

| | Comments (0) | TrackBack (1)

August 28, 2006

西村美佐子歌集「猫の舌」を読む(6)

お盆休みの後半、連日、高校野球のテレビ観戦に明け暮れ、未だにその興奮状態から抜けられず、短歌どころではなかったが、そろそろモードを変えようと思う。まずは、「猫の舌」の精読である。今回は、個人的に好きな一連である。「胡座する場所」10首より引く。