短歌

November 11, 2009

11月の短歌作品

日々
 
 数人の若き僧らが雑巾がけしたる廊下に秋天おりる

 告別式、納骨式に参列のひとら交差す神無月尽

 銀杏葉に透かされ光は遺影にもとどく静かに列うごきだす

 遺影もつ男と目のあう緩き坂をかれはくだりてわれはのぼりぬ

 回廊に沿いて小さな菊花展ひらかる淡き秋陽のなかに

 数枚のカットを撮りて液晶に映せば菊花の影は人形《ひとがた》

 目の覚めるほどの黄色の輝きをとりさりサイアノタイプに仕上げむ

 「情報管理、徹底せよ」と夏のすぎ秋のふかまりピリピリとせり

 「記者さんたち、てんぱってますよ」と声たかき広報主幹の目は笑わない

 抜くか抜かれるか、どちらかひとつの掟にて人事情報毎夜さぐるか

 唐突に決まるものゆえ携帯用バッテリィ二基日々もつ覚悟

 「広報とは広聴なり」ときれい事いわれて目線をさげるわれかな日々

| | Comments (0)

October 10, 2009

10月の短歌作品

難読

 莨《たばこ》吸うものだけ占有しうる場所二十二階北神田見下ろす

 令《いいつけ》をまもらざるもの左遷とぞ地上に落下してゆく木の葉

 顳《こめかみ》に蚊の一匹が止まりたり払えどふたたび止まらんとす

 谺《こだま》ひびく丸の内にはハレーション盛大に出るレンズをつかう

 右にだけ出る靨《えくぼ》なる左より撮ればわずかに表情の増す

 東京はマドリッドに亜《つ》ぎ三位なり夢見しものら睡りにつきぬ

 「鎹《かすがい》は金だけ」という男いて冷静沈着ただただ無口

 篦《へら》をもつ職人二十時すぎてなお白熱灯のもと仕事つづける

 中川氏、秋の日の朝死す酒におぼれて死すと熟熟《つくづく》おもう

 中川家に夫婦のともに睡る閨《ねや》なくてひとりであの世にゆきぬ

 遖《あっぱれ》と賞賛されて死する人おらぬ時代にわれ生かさるる

 磧《かわら》にはビニール袋の幾枚もうち上げらるる水かさの減り

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 13, 2009

うまい歌

上牧温泉辰巳館で開かれた短歌人の夏季全国集会に参加したときのこと、初日夜の講演会は、まひる野の柳宣宏氏による「反戦後短歌—山崎方代のことなど」であった。その冒頭で柳氏が、「短歌人の歌人たちの歌はうまい」と話された。入会してまだ日が浅かった私にも、その実感はあり、改めて短歌人を読み返してみてやはり、「うまい歌」が多かった。

原則的に、うれしい指摘だが、「うまい歌とは何か」「短歌人の歌がなぜうまいといわれるのか」を突きつめずにいるのはまずいという思いもわいた。
「うまい歌」とはいったいどのような歌なのか。比喩が巧みで韻律、リズムもよいということだけなのだろうか。読み手に自身の発見を届けるということならば、素直に詠えばそれでよいといえる。そうであるならば、柳氏の「うまい歌が多い」という指摘には、何らかの批判が隠されていると解すべきか。そうした観点から、最近の短歌人から「うまい歌」を引く。

 紅白の山茶花ならび咲く見れば競ひて咲くとにんげんは言ふ
  高田流子(〇九年二月号)

句跨りなどの活用でリズムをつくり、「咲く」の繰り返しと「にんげん」というひらがな表記で印象づけている。なにやら彼岸での一場面のようにも思えてくる。

 奄美歌掛けて波音竪琴師里国隆師の影法師さ
  泉慶章(〇九年二月号)

「師」の字が三つある。「師」は一音なので、音声上、たたみかけてくる強いインパクトはないが、目で見れば、うまく配置され、その存在感は際だつ。高名な書家に書いてもらえば、この歌の価値はさらに高まるような気がする。

 うぶすなの女男の欅の頂になにか来てをり 春といふべし 
  武下奈々子(〇九年五月号)

ただ春の到来を詠っているようでいて、雌雄同株で雌雄異花を咲かせる欅に、複雑な男女関係を重ねている。この比喩は巧みだ。

この三首はそれぞれに個性的であり、歌たらしめるプロトコルが備わっている。そのプロトコルは誰もが理解可能なものなのだろうか。「その道の者にしかわからない歌ばかりでは、短歌は早晩、滅びる」というところまで、思いを馳せるべきなのであろうか。

(短歌人二〇〇九年九月号「三角点」掲載)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 12, 2009

9月の短歌作品

現実

 子に乳を飲ませるはずの胸ねむる腹さすりたる妊婦のもとで

 プライオリティシートに沈みこむからだ生きているのか死んでいるのか

 ポイントに差しかかるときマタニティマークの揺れて顔をしかめる

 背の高きサラリーマンが気づき立つ手招きすれば他のものきたる

 席の空きすぐにうめらる強固なる意志もつものまた属性おんな

 窓に顔ひとつうかびてたじろぎぬ阿修羅のごときわれの顔なり

 台風のさりて風音弱まりて迷い込みたる蝉のさわぎぬ

 カメムシのわが肩にある葉月尽changeは変化となりてせまり来

 日の射して汗ふきながら三叉路をまがれば冷気のほどよくのこる

 民主党政権樹立間近にてユーミンうたう「九月には帰らない」と

 海水を飲み込むごとき心地する「生きるためには仕方がないか」

 カフカかたる評論文を読みおもう脱官僚・政治主導の政策決定
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 13, 2009

8月の短歌作品

子供

 この森にカワセミの棲む赤土の斜面にカワセミ消えてゆきたり

 とびながら排泄をするカワセミの瑠璃色いまだ眼裏にあり

 つぎつぎと土鳩あつまる風ふかぬ森に通信線のみ揺るる

 昨晩の花火の残り、カラムーチョ、オーザックなどの袋、散乱

 陽の射さぬ噴水まわりに土鳩二羽ジャンクフード喰ういそがしく喰う

 一心に食餌つづける土鳩には〈ニンゲン・コドモ〉とう天敵がおり

 土鳩追う子供の足は意外にもはやく花壇に入るまで追う

 雨つづく八月、噴水みずを吹く〈二時間限定〉に子供あつまる

 足すべらせて子供はころぶ泣き声のひびき土鳩がいっせいにとぶ

 動かざる蝉の幼虫まひるまになれどもいまだ抜け殻でなく

 成虫にならざるままに死する夕、酔芙蓉の葉はただやわらかく

 ノリピーが高相法子となり消える今夏はじめてクマゼミの鳴く

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 12, 2009

7月の短歌作品

鉄路  

 丸の内線のいくどか陽のもとに露わになりたるわけを知りたし

 三ヶ月ほどまえ染井吉野咲きし四谷見附に汗をぬぐいぬ

 ペンキまみれの作業着の男がふたり鉄路みつめる

 東西線乗り入れ中止のアナウンスに老女さまよう〈動輪の広場〉

 千代田線山手線を乗り継げば馬場にゆけるといえど拒みぬ

 あくまでも「東西線で馬場にゆく」老婆はいえりわが目を見つめ

 東西線とう名をもつ地下鉄わが国にいくつあるのか数えつつ聴く

 昼間と夜間のすきまのようであり老婆とはなすこの数分は

 南阿佐ヶ谷出口あたりにパトカーの静かにすすむひとかき分けて

 女高生の帰宅をいそぐ道々に警視庁とう制服の立つ

 旅をする時間も本を読む暇もなく四十年前の時刻表を買う

 地下鉄の車庫は地上に息づきて無人の歩道を照らしておりぬ

| | Comments (0) | TrackBack (1)

June 23, 2009

6月の短歌作品

景気

 フラッパーゲートにカードをかざしたる後の静けさゲートひらかず

 IDカード、カフェミストをもち昇降機の到着をまついつまでもまつ

 地階より見慣れぬ顔が乗りてくるネクタイしめぬエコワークの月

 慣れ親しむはToToであり海外製便器の座り心地をかなしむ

 地下街の営業時間はとうに過ぎ通用門より追い出されたり

 泡盛の酔いさますためのぼりゆく階にわかに雨音きこゆ

 傘もたぬ、しかもコンビニ見あたらぬ終電車の刻しだいに迫る

 終電車一本まえに間にあいて酔客すくなきことに驚く

 一ー三月期が底と言いたる者のふえ大盤振る舞い補正のおかげ

 エコカーに買い換えるならば減税に補助金くわえて千円高速

 在庫調整終わりて生産うわむくと株価上昇、雇用なきまま

 目の奥に痛みののこる夕闇にひかり輝く大観覧車

 平衡感覚狂いて見ているだけでただ目のまわりたるメリーゴーランド

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 18, 2009

5月の短歌作品

不通  
  
 閉塞区間ごとに列車は立ち往生したり積み荷は通勤者なる

 ゴールデンウィークあければいちはやく通勤電車のブレーキ故障

 線路内立ち入り禁止を解きあまたひとのあるきぬバラストをけり

 救急車、消防車の準備され開かずの踏切にあつまる報道

 急ぐことのもはやかなわぬ通勤の途上のひとらが押し寄せてくる

 「ひとりではどうにもならん」喫茶店の主ひたいに汗をうかべて

 急ぐことのなく夕凪に丸の内シャトルにのりて数ブロックをゆく

 屋根のなきはとバスに乗るひとなべて色濃きサングラスをかけ

 雷雨あり霧雨もあり時雨もあり虹もかかりて日の暮れとなる

 タクシーの空車の列は閉店の準備をいそぐドンキホーテまで

 赤信号のさきに青信号ふたつかがやき零時を過ぎる
 
 安全第一白岩工業わがまえを四人の男が大股でゆく

 終電にあわせ作業のはじまりか目を爛々とさせ見入る男ら
 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 11, 2009

4月の短歌作品

二人 

 吹きやまぬ北風をうけ弥生尽咲くことはなし枝垂れ老木

 咲きかけのつぼみ次第に腐りゆくごとし悪寒に身をすぼめたり

 ルーフなきダブルデッカー停車して多言語多文化のひとら降り立つ

 菜の花の水路にそいて植えらるるひとときツアーのひとら楽しむ

 ベンチにて七十周年記念号とり出しめくる「陽がのびたわね」

 満開の染井吉野の樹下にあり交互に虻をふりはらいたり

 真底うれしきあたたかさ戻りて「この樹の下で撮ろうよ」

 午後五時をすぎて憲政記念館門の閉ざされ「夕陽がきれい」

 議事堂を右手に見つつ落日の影踏みてゆく官僚たちは

 九段下半蔵門経て桜田門霞ヶ関あたり〈警告〉

 チューリップの花芽ぐんぐん伸びてゆく柵の向こうにみゆる権力

 三年坂くだりて都市の底にて「ひとりぼっちでないよ」二人は

 蝙蝠の頭上近くを乱舞する東の空に満月うかぶ


| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 31, 2009

山手線吟行

新橋

 日の暮れにおなじ顔した男らのこたえる経済政治の危機を

新橋は、中年サラリーマンの町である。駅周辺には、大小さまざまな企業のオフィスがひしめきあい、霞ヶ関の官庁街も目と鼻の間にある。旧国鉄の貨物駅であった汐留が再開発され、「シオサイト」という、しゃれた名前の高層ビル群が出現し、おしゃれな女性も増えたが、サラリーマンの町という雰囲気は変わらない。
しばしばテレビ局がこの町で、サラリーマン相手にインタビューを行っている。そこに出てくる男たちは、決して無個性ではないが、不思議とおなじ印象しか残らない。十年後も、ひょっとすると五十年後も、おなじ顔した男らが、おなじように経済状況の懸念や政治への不満を語っているのだろうか。

(短歌人創刊七十周年記念特別号寄稿、2009年4月号)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧