October 10, 2009
難読
莨《たばこ》吸うものだけ占有しうる場所二十二階北神田見下ろす
令《いいつけ》をまもらざるもの左遷とぞ地上に落下してゆく木の葉
顳《こめかみ》に蚊の一匹が止まりたり払えどふたたび止まらんとす
谺《こだま》ひびく丸の内にはハレーション盛大に出るレンズをつかう
右にだけ出る靨《えくぼ》なる左より撮ればわずかに表情の増す
東京はマドリッドに亜《つ》ぎ三位なり夢見しものら睡りにつきぬ
「鎹《かすがい》は金だけ」という男いて冷静沈着ただただ無口
篦《へら》をもつ職人二十時すぎてなお白熱灯のもと仕事つづける
中川氏、秋の日の朝死す酒におぼれて死すと熟熟《つくづく》おもう
中川家に夫婦のともに睡る閨《ねや》なくてひとりであの世にゆきぬ
遖《あっぱれ》と賞賛されて死する人おらぬ時代にわれ生かさるる
磧《かわら》にはビニール袋の幾枚もうち上げらるる水かさの減り
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September 13, 2009
上牧温泉辰巳館で開かれた短歌人の夏季全国集会に参加したときのこと、初日夜の講演会は、まひる野の柳宣宏氏による「反戦後短歌—山崎方代のことなど」であった。その冒頭で柳氏が、「短歌人の歌人たちの歌はうまい」と話された。入会してまだ日が浅かった私にも、その実感はあり、改めて短歌人を読み返してみてやはり、「うまい歌」が多かった。
原則的に、うれしい指摘だが、「うまい歌とは何か」「短歌人の歌がなぜうまいといわれるのか」を突きつめずにいるのはまずいという思いもわいた。
「うまい歌」とはいったいどのような歌なのか。比喩が巧みで韻律、リズムもよいということだけなのだろうか。読み手に自身の発見を届けるということならば、素直に詠えばそれでよいといえる。そうであるならば、柳氏の「うまい歌が多い」という指摘には、何らかの批判が隠されていると解すべきか。そうした観点から、最近の短歌人から「うまい歌」を引く。
紅白の山茶花ならび咲く見れば競ひて咲くとにんげんは言ふ
高田流子(〇九年二月号)
句跨りなどの活用でリズムをつくり、「咲く」の繰り返しと「にんげん」というひらがな表記で印象づけている。なにやら彼岸での一場面のようにも思えてくる。
奄美歌掛けて波音竪琴師里国隆師の影法師さ
泉慶章(〇九年二月号)
「師」の字が三つある。「師」は一音なので、音声上、たたみかけてくる強いインパクトはないが、目で見れば、うまく配置され、その存在感は際だつ。高名な書家に書いてもらえば、この歌の価値はさらに高まるような気がする。
うぶすなの女男の欅の頂になにか来てをり 春といふべし
武下奈々子(〇九年五月号)
ただ春の到来を詠っているようでいて、雌雄同株で雌雄異花を咲かせる欅に、複雑な男女関係を重ねている。この比喩は巧みだ。
この三首はそれぞれに個性的であり、歌たらしめるプロトコルが備わっている。そのプロトコルは誰もが理解可能なものなのだろうか。「その道の者にしかわからない歌ばかりでは、短歌は早晩、滅びる」というところまで、思いを馳せるべきなのであろうか。
(短歌人二〇〇九年九月号「三角点」掲載)
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September 12, 2009
現実
子に乳を飲ませるはずの胸ねむる腹さすりたる妊婦のもとで
プライオリティシートに沈みこむからだ生きているのか死んでいるのか
ポイントに差しかかるときマタニティマークの揺れて顔をしかめる
背の高きサラリーマンが気づき立つ手招きすれば他のものきたる
席の空きすぐにうめらる強固なる意志もつものまた属性おんな
窓に顔ひとつうかびてたじろぎぬ阿修羅のごときわれの顔なり
台風のさりて風音弱まりて迷い込みたる蝉のさわぎぬ
カメムシのわが肩にある葉月尽changeは変化となりてせまり来
日の射して汗ふきながら三叉路をまがれば冷気のほどよくのこる
民主党政権樹立間近にてユーミンうたう「九月には帰らない」と
海水を飲み込むごとき心地する「生きるためには仕方がないか」
カフカかたる評論文を読みおもう脱官僚・政治主導の政策決定
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August 13, 2009
子供
この森にカワセミの棲む赤土の斜面にカワセミ消えてゆきたり
とびながら排泄をするカワセミの瑠璃色いまだ眼裏にあり
つぎつぎと土鳩あつまる風ふかぬ森に通信線のみ揺るる
昨晩の花火の残り、カラムーチョ、オーザックなどの袋、散乱
陽の射さぬ噴水まわりに土鳩二羽ジャンクフード喰ういそがしく喰う
一心に食餌つづける土鳩には〈ニンゲン・コドモ〉とう天敵がおり
土鳩追う子供の足は意外にもはやく花壇に入るまで追う
雨つづく八月、噴水みずを吹く〈二時間限定〉に子供あつまる
足すべらせて子供はころぶ泣き声のひびき土鳩がいっせいにとぶ
動かざる蝉の幼虫まひるまになれどもいまだ抜け殻でなく
成虫にならざるままに死する夕、酔芙蓉の葉はただやわらかく
ノリピーが高相法子となり消える今夏はじめてクマゼミの鳴く
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July 12, 2009
鉄路
丸の内線のいくどか陽のもとに露わになりたるわけを知りたし
三ヶ月ほどまえ染井吉野咲きし四谷見附に汗をぬぐいぬ
ペンキまみれの作業着の男がふたり鉄路みつめる
東西線乗り入れ中止のアナウンスに老女さまよう〈動輪の広場〉
千代田線山手線を乗り継げば馬場にゆけるといえど拒みぬ
あくまでも「東西線で馬場にゆく」老婆はいえりわが目を見つめ
東西線とう名をもつ地下鉄わが国にいくつあるのか数えつつ聴く
昼間と夜間のすきまのようであり老婆とはなすこの数分は
南阿佐ヶ谷出口あたりにパトカーの静かにすすむひとかき分けて
女高生の帰宅をいそぐ道々に警視庁とう制服の立つ
旅をする時間も本を読む暇もなく四十年前の時刻表を買う
地下鉄の車庫は地上に息づきて無人の歩道を照らしておりぬ
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June 23, 2009
景気
フラッパーゲートにカードをかざしたる後の静けさゲートひらかず
IDカード、カフェミストをもち昇降機の到着をまついつまでもまつ
地階より見慣れぬ顔が乗りてくるネクタイしめぬエコワークの月
慣れ親しむはToToであり海外製便器の座り心地をかなしむ
地下街の営業時間はとうに過ぎ通用門より追い出されたり
泡盛の酔いさますためのぼりゆく階にわかに雨音きこゆ
傘もたぬ、しかもコンビニ見あたらぬ終電車の刻しだいに迫る
終電車一本まえに間にあいて酔客すくなきことに驚く
一ー三月期が底と言いたる者のふえ大盤振る舞い補正のおかげ
エコカーに買い換えるならば減税に補助金くわえて千円高速
在庫調整終わりて生産うわむくと株価上昇、雇用なきまま
目の奥に痛みののこる夕闇にひかり輝く大観覧車
平衡感覚狂いて見ているだけでただ目のまわりたるメリーゴーランド
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May 18, 2009
不通
閉塞区間ごとに列車は立ち往生したり積み荷は通勤者なる
ゴールデンウィークあければいちはやく通勤電車のブレーキ故障
線路内立ち入り禁止を解きあまたひとのあるきぬバラストをけり
救急車、消防車の準備され開かずの踏切にあつまる報道
急ぐことのもはやかなわぬ通勤の途上のひとらが押し寄せてくる
「ひとりではどうにもならん」喫茶店の主ひたいに汗をうかべて
急ぐことのなく夕凪に丸の内シャトルにのりて数ブロックをゆく
屋根のなきはとバスに乗るひとなべて色濃きサングラスをかけ
雷雨あり霧雨もあり時雨もあり虹もかかりて日の暮れとなる
タクシーの空車の列は閉店の準備をいそぐドンキホーテまで
赤信号のさきに青信号ふたつかがやき零時を過ぎる
安全第一白岩工業わがまえを四人の男が大股でゆく
終電にあわせ作業のはじまりか目を爛々とさせ見入る男ら
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April 11, 2009
二人
吹きやまぬ北風をうけ弥生尽咲くことはなし枝垂れ老木
咲きかけのつぼみ次第に腐りゆくごとし悪寒に身をすぼめたり
ルーフなきダブルデッカー停車して多言語多文化のひとら降り立つ
菜の花の水路にそいて植えらるるひとときツアーのひとら楽しむ
ベンチにて七十周年記念号とり出しめくる「陽がのびたわね」
満開の染井吉野の樹下にあり交互に虻をふりはらいたり
真底うれしきあたたかさ戻りて「この樹の下で撮ろうよ」
午後五時をすぎて憲政記念館門の閉ざされ「夕陽がきれい」
議事堂を右手に見つつ落日の影踏みてゆく官僚たちは
九段下半蔵門経て桜田門霞ヶ関あたり〈警告〉
チューリップの花芽ぐんぐん伸びてゆく柵の向こうにみゆる権力
三年坂くだりて都市の底にて「ひとりぼっちでないよ」二人は
蝙蝠の頭上近くを乱舞する東の空に満月うかぶ
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March 31, 2009
新橋
日の暮れにおなじ顔した男らのこたえる経済政治の危機を
新橋は、中年サラリーマンの町である。駅周辺には、大小さまざまな企業のオフィスがひしめきあい、霞ヶ関の官庁街も目と鼻の間にある。旧国鉄の貨物駅であった汐留が再開発され、「シオサイト」という、しゃれた名前の高層ビル群が出現し、おしゃれな女性も増えたが、サラリーマンの町という雰囲気は変わらない。
しばしばテレビ局がこの町で、サラリーマン相手にインタビューを行っている。そこに出てくる男たちは、決して無個性ではないが、不思議とおなじ印象しか残らない。十年後も、ひょっとすると五十年後も、おなじ顔した男らが、おなじように経済状況の懸念や政治への不満を語っているのだろうか。
(短歌人創刊七十周年記念特別号寄稿、2009年4月号)
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March 29, 2009
心の花の編集長である佐佐木幸綱氏は、早稲田大学政経学部教授として、この3月、定年退職を迎えた。25年間の勤務というから、私が在学していた頃にはまだ、教員ではなかったということだ。私の在学当時は、文学部に歌人の窪田章一郎氏が教鞭をとっておられ、時々、もぐりで聴きに行ったりもしていた。
佐佐木氏がすでに教鞭をとっていたならば、もちろん聴きに行ったであろう。
早稲田大学の教員の定年は70歳である。ずいぶん長く、続けることの出来る仕事だとつくづく思う。派遣切りだの、雇い止めだのと、雇用の不安定さが話題になる昨今、一度、場を得れば、教鞭をとり続けることが出来る教授という職は羨ましい。
そうはいっても、25年の長きにわたり、集まり散じていく若者たちの指導、誠にご苦労さまでしたと、素直に言いたい。佐佐木氏の講義によって、どれだけの学生が、短歌を理解したか、想像も出来ないが、大学での講義というのは、いつか忘れたと思う頃に、蘇るもの。必ずや早稲田短歌の伝統は、誰かが引き継ぐことだろう。
私は稲門だが早稲田短歌には最後まで縁がなかった。早稲田という大学で学んだことを極力、意識しないことでこれまで生きてきたが、これからは少し、自身が経験した4年間の生活を思い起こしながら、仕事をしてみようと思う。もちろん、その中には作歌という仕事も含まれている。佐佐木氏の定年退職とは全く関係のないことだが、心機一転、がんばってみたい。
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March 11, 2009
梅花
ぎしぎしときしむザックを背負いつつゆく零細工場ならぶあたりを
鶴見川にかかる大橋たもとには数種の警告発せられたる
月初ゆえ健康保険証確認の要あり列のひとつは長く
冬晴れのビニールハウスに人影のうごくトマトが運び出される
裸木に朝陽くっきり描かるる油彩のごとし武蔵野の景
ヨーカ堂フードコートに幾人かがさがさ音をたてつつ過ぎる
「捨てるな」と叫ぶおんなを一瞥もせず飲み残しいっきに捨てる
「スピーチは短くお願いいたします」看板掲げるひとに従え
昼食は孤独な所作と言い聞かせサブウェイクラブゆっくりと食む
桜通久屋東は閑散としてわがまえをゆく散歩の夫婦
司法書士事務所のならぶ長屋なりズボン靴下スカート干され
梅満開なる斜面に立ちてみあげたる空にひとすじ雲の横切る
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February 10, 2009
不運
禁断のチョコひとかけら口に入れこれで失速すれば地獄ぞ
糖質制限食下の身中になにが起きているかわからず
マラソンの神様がいて背を押されチョコにオレンジ、バナナを喰いつ
自由席車両に立たさるる人らみな進行方向の前を見つめる
年に一度のマラソン大会に遭遇し席を得られぬ人らの不運
立ちんぼうの娘が手ぐしをさすたびに抜け毛はらはら落ちて光りぬ
座りたるわれの視線は西空にうかぶ富士のシルエットにむく
十数分間断続的にみえし富士進学校にさえぎられ消ゆ
かつかつとオアゾぬければ如月に騒がしきかな駅舎復元
立ち飲みは時間制限しやすくて一時間ほどの楽しみ
世界的景気後退暗闇のなかに焼き鳥頬ばる人ら
商店主らの努力の甲斐もなくまちに風俗嬢があまた佇む
ティッシュ配りは禁止の場所にティッシュに群るる老若男女
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January 12, 2009
同盟
セキュリティと夜間昭明に護らるるマンションいまだ入居者はなく
ニューヨーク高騰したる正月の三日東京ねむりのなかに
百年に一度のこととおののきて予算政策さけぶ世界は
冬晴れに碧き高層ビルのまど神々怒れるかおの映りぬ
正月はシステムダウンに始まりて列なき外来患者のむれる
正午すぎて午前十時の予約者が診察室の壁みつめたる
闘病の「闘」の字「逃」に変えてみて幾らかこころの安まるものか
ちらちらと雪降るなかを日帰りの那覇出張にむかう朝ぞ
プレミアムクラスの座席に身をしずめ聴く「田園」はケーゲルの指揮
東独の荒野に灯火をかざしたるごとき響きの頭蓋にあふれ
どんよりと空のしかかる那覇に降り数刻沖縄時間をたのしむ
日米の国旗ならびてたなびきぬ金網越しにみゆる同盟
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December 03, 2008
小春
パンジーにリカちゃんの名の冠せられ「ほしい、ほしい」と女児は叫びぬ
「どのパンジーもみーんな、おんなじ」処分品コーナーに選る名無しのパンジー
ツルバラに蕾がみっつふくらみぬ今年最後の選定をおえ
水道の蛇口にうごかぬいっぴきの蜥蜴に免じ水やりを止す
葉のかげにあかき実の見ゆ万願寺唐辛子の実は西日にひかる
四十年余の歴史をふまえつつさぐる移転の準備・手順を会議は
地下四階にねむれる酸性紙の資料ふれればはらはら足下に散る
史料とはよべぬものゆえ大半は処分のされんコストをかけて
移転先にゆけぬ資料はまとめられもやされ温暖化ガスを成す
担当者の欄にわが名の記さるる資料一編ぬきだししまう
着々と作業はすすめられてゆき師走むかえるわれ関せずも
宅配の配送車両は早々とT字路を去りわが家に寄らず
メール便くばるバイクを避け気づく夜空に木星金星ならぶ
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November 10, 2008
香気
病人のあまたの足が踏む床に矢印のあり左右に分かる
指示されたるは右か左か赤きラインは採血へのみち
社員章かたぶく胸に手を当てて背中を丸めおとこが過る
そのあとをつけるわけでないけれど向うところは大凡おなじ
午前十時すぎて初診受付にまだ笑顔ある老夫婦の立つ
医療費の未払分を確認する自動再来受付機なるは
ディスプレイに大きく受付番号の示さるるとき逃さぬように
名を呼ばれぬままに入室するおんな髪より匂う秋薔薇の香
診察室より出てふたたび文庫本読みふけりたるを余裕というか
外科医には外科医としての領分のあれば切除を最善とする
断定はせず最悪の事態も踏まえつつ語りつづける手術の則を
結論はスタバを飲めば出るだろかショット追加のソイラテを飲む
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October 27, 2008
音楽に寄り添いながら創作活動を行っている文芸家といえば、谷川俊太郎を真っ先にあげなければならない。谷川は、『モーツアルトを聴く人』と題する詩集を上梓しており(一九九五年)、また二〇世紀を代表する作曲家、武満徹との深い親交は有名である。
『モーツアルトを聴く人』の「ふたつのロンド」より、一部を引く。
・・・
ケッヘル四八五番のロンド二長調
子どもが笑いながら自分の影法師を追っかけているような旋律
ぼくの幸せの原型
だが幼いぼくは知らなかった
その束の間が永遠に近づけば近づくほど
かえって不死からは遠ざかるということを
音楽がもたらす幸せにはいつもある寂しさがひそんでいる
・・・
五分ほどのこの曲は、軽快なリズムを保ちながら、長調から短調へ、また長調へとめまぐるしく調性を変えてゆく。内田光子の名演奏が忘れられない名曲である。
そういえば武満徹は、音楽学校にも通わず独学で作曲を学び、初期における発表の機会は、作曲家グループ「新作曲家協会」などに依った。短歌における結社のような組織が、音楽の世界にもあったということだ。
武満は、音楽の作品を書くとき、「ことばをいっぱい書く」という(高橋悠治との「対話」ユリイカ一九七五年一月号)、その理由を武満は、「自分のなかにもやもやしたものが出てくるから」としている。心のなかのもやもやを響きにしていく作業が、武満にとり作曲という行為だったのだ。そして音楽と言葉は、合せ鏡のような関係だったのだろう。
短歌の世界では、音楽に寄り添いながら創作活動を行った身近な存在として、永井陽子をあげたい。『モーツアルトの電話帳』『ふしぎな楽器』などの歌集を残した永井の作品を読めば、永井の音楽体験が短歌作品に昇華していることがわかる。
譜を抜けて春のひかりを浴びながら歩む∫(フォルテ)よ人体のごとし
梅雨晴れのふとまばゆさを増す空にモーツアルトの靴音がする
『ふしぎな楽器』
引いた二首とも、実景が音楽と結びついた秀歌である。一首目は、たくさんのフォルテ記号が草原に飛び出していくような、春の目覚めのすがすがしさが表現されている。二首目は、たとえばケッヘル四八八のピアノ協奏曲、第三楽章(これもロンド形式)をモーツアルトがハミングをしながらやってくるような情景が描かれている。自然に心が投影し、そして「フォルテ」や「モーツアルト」などの比喩によりリアリティを強める。
基本的に音楽には、リズムとメロディが必要である。これを短歌に当てはめれば、リズムは当然、五音七音の構成から引き出されるものであり、これがなければそもそも短歌とはいえまい。
問題は、メロディである。声を出して読まれることのなくなった現代短歌では、三十一音のなかに持ち込まれた言葉と言葉が擦れあい響きあうことで生じる、ある種の揺らぎのようなものだと解すればよいか。その観点からあらためて永井の作品を読むと、音楽関連の言葉が一首の中になくても、いずれも音楽的であり、リズム、メロディを楽しめる。
武満は、「作曲するということは、われわれをとりまく世界を貫いている《音の河》に、いかに意味づける《シニフィエ》か、ということだ」と言う(『武満徹著作集1』「ぼくの方法」)。短歌の実作者は、《言葉の河》を強く意識しなければならないということだろうか。
(短歌人2008年11月号掲載)
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October 22, 2008
岡井氏の「私の履歴書」も、はや第21話となった。30話で完結なので、3分の2を超えたということだ。
これまで読んできて、最初のうちは、歌人ではないとわからない、作歌のこと、歌壇のことなどが多く、これでは読者はつかないと危惧したが、編集者の助言を受け入れたのか、解説を挟みながら、この特殊な世界を自身の人生に沿って解説する、わかりやすい文章になってきた。
今日の第21話は、岡井氏の失踪にまつわる部分である。
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October 14, 2008
空際
ブロック塀に沿いてざわめき伝わりぬへいじつまひるま打鐘(じゃん)におどろく
打鐘(じゃん)のまた鳴る高台のまちゆけば袋小路なり子猫の惑う
一角は住宅街にかわりはて花月園とう地名が残る
建売の四軒あらたに売り出されマーチとヴィッツがすれ違えない
アルファロメオのエンブレムにガムつけし少年おとこらに取り囲まれて
東名と新幹線に挟まれたる小さき丘に墓標がならぶ
かすれたる〈侵入無用〉の文字のあり空見あぐれば生と死の際
暗がりに踏み跡ひとすじみとめらる生者の伝う蜘蛛の糸かな
〈ふぁん〉と打てばたちまち〈fan〉(熱狂者)、あるいは〈fun〉(楽しみ)を候補としたり
ことりえの指定変換かぐわしく〈らぶ〉をloveに変える愉しみ
猫四匹おもいおもいに餌を食み寝ては遊びぬ秋の夜長に
猫しばし羽に夢中の夜であり満月の夜あわれ人類
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October 02, 2008
ふだん購読している日経新聞のなかで、かならず読む欄がある。それは「私の履歴書」である。
70~80年生きてきた著名人が、生涯を自身の筆で振り返る。1956年から連綿と続けられている企画で、私は1957年生まれだから、私の人生より長い、長寿欄ということになる。その欄に、歌人の岡井隆氏が登場した。毎朝の楽しみがひとり加わったが、医者でありまた歌人である氏が、30回の連載のなかでどう人生を振り返るか、興味は尽きない。
しかし、である。
第1回、いきなり叙勲関連の栄誉などを羅列されると興ざめである。最も問題とされている皇室との関係についても、胸を張って語られると、戸惑う。高齢になればなるほど、人間くさく人生を振り返ることは難しいだろうが、物事を客観視し、主張するタイプの歌人、岡井隆である。2回目以降は、心の奥底にあるものをストレートにさらけ出してもらい、というのが率直なところだ。
おそらく岡井氏の言動は、ごく一部の側近といわれる人たち以外、誤解されていると思う。私も誤解しているひとりであろう。それを払拭する」ような、まことの岡井隆を連載のなかで示してもらえればと心から願う。
因みに、最近の「私の履歴書」のなかで、最もすばらしいと感じたのは、証券界のドン、田淵節也氏であった。田淵氏が生きていたら、現在の米国発金融不安をどう論評しただろうか。
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September 13, 2008
立秋
吹きやまぬ東風をうけ今朝もまた雷雨の予報に坂道くだる
芙蓉の咲く路地裏にあり麻雀荘《じゃんそう》の門はとざされ冷気を感ず
バス道の痕跡として置かれたる椅子に二本のスプリングがたつ
玄関にねむれる猫の耳うごくなにやら寝言をいいそうな猫
八月は紫陽花狂い咲きをしてその残骸をすべて切り込む
一日《いちじつ》を家族総出の庭掃除にあてお向かいの夏は終わりぬ
数株の蕺草《ドクダミ》のこる南東の角地に雨粒みあぐるばかり
子育てをおえし雀らトランスを去り草むらに虫をついばむ
北台より見下ろす影は白雲のものなりふたたび真夏日は来ぬ
苦瓜の熟れたるなかに赤き種みえ隠れす西日をうけて
眼前にアキアカネの飛ぶうっすらと埃のつもる手すりにとまる
サギソウの枯れたる花を指先につまむ明日より躊躇はしない
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August 09, 2008
省察
一リットル百九十円のハイオクを満タンにして駆るドロップヘッド
屋根をあけ『田園』を聴く県境をこえて異界に夜は深まる
上越の風わが頭上をふきぬけるしばし異界の音をたのしむ
省察的実践としてこの足とこの目で追わん復活蒸気機関車《じょうき》を
単線非電化磐越西線《ばんさい》に罐は走りぬわれも走りぬ
黒き雲ずっしり北をうめ尽くし稲妻はしる山間をゆく
県境に激しき雨を降らせたる雲は赤やむらさき黄に塗られたり
強雨のち霧、薄日さし、また曇のち雨、ポイントいまだ決めかね
ムービーをとる者スチルをとる者の視点ことなりロケハンつづく
かつてSONYにデンスケとう音のみをとる機材のありき
ずい道の出口見下ろす中腹に特養のあり手をふるわれか
やがていまを忘るるとき来てもこのブラフト音は忘れじ
津川駅に給水をするC57180《しごなな》を追い越しS字のカーブに向かう
ミツバチのごとくさだめしポイントは荻野駅の手前踏切
先客に肢体不自由の同郷のひとおりともに汽笛にこたう
飯豊みえぬ平瀬集落にかるがると七両編成を牽く罐は美し
ダチョウ園の脇にからすが騒がしく割れたる卵をむさぼる
米国の技術者による設計の橋脚いまも列車をわたす
阿賀野川の流れはにごる見あぐれば石炭ガラのぱらぱらとふる
山都にて撮影終了のメールうつせいろ二枚を平らげしのち
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July 10, 2008
資源
玄関先に待っていましたというばかりのおとこが古紙をあつめてしまう
アルミ缶スチール缶は私道にてあつめる児童育英のため
週に二度資源ゴミなるゴミあつめ資源さらうはチャイナのごとし
残されしもののかずかず、髭の濃きおとこ、あるいはその他無価物
原形をとどめぬものの美しく雑瓶こなごなになるは悲しく
いっせいに立ち上がりたる客のあとみどり色したマドラーいっぽん
紫陽花に終日ひかりのあたらざる葉叢のありてみどりしたたる
マドラーも有価物なる扱いをうけるすべてを資源化せよと
ゴミらしきもの爪先にてスタッフのひろうランチタイムは終わりぬ
銀色の紙くず少女がひろいたり緊急停車のアナウンスひびく
紙くずを掌にのせもてあそぶ少女よ電車は何時うごきだす
元台風と元ホステスの違いなどかんがえ夜半の霧雨のなか
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June 15, 2008
制限
五号車の車窓にうつる朝焼けをみつめる携帯なりつづけるなか
眠りこけたるおんなの手元に携帯はなりつづけたり、あゆのメロディ
汽笛ならぬ新橋駅に降りてゆくおんな携帯を車内にのこす
気づきたるはわれのみであり携帯を壊す?捨てる?大事にしまう?
東京駅三番ホームに駅員はおらず携帯ベンチにおきぬ
六時よりお菜はならべられはじめ冷たきものが最初にならぶ
温かき煮物は里芋、ヤングコーン、人参もられて梅雨寒の朝
眼前にならべられたる糖質をたべるわけにはいかぬ療法
炭水化物糖質制限食療法「慣れればどーってことはない」とぞ
クリームパンあんパンだいふく「金輪際たべない」などとわれは誓いぬ
通いなれれど月曜の階段さいしょの数歩がきつい
消すことのできる赤のボールペンはしらせ部下のプランをなおす
痕跡のかすかにのこる獣道ガード下にも夕陽はあたる
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June 10, 2008
文藝春秋の最新号(2008年7月号)に、短歌人編集人の小池光の最新作8首が掲載されていたので、紹介する。文藝春秋は今日発売で、著作権法に触れるので8首中4首を取り上げる。
さまざまなこと嵐にまさり押し寄せて今月もはや二十五日ぞ
小池光の短歌の特長のひとつに、漢字とひらがらのバランスの良さがある。この歌では比較的漢字の多いが、「押し寄せて」という句の通り、漢字のもつ凝縮感で、押し出しを強めている。
言葉の選び方で参考としたいのは、「嵐にまさり」であろう。普通なら、「嵐のごとく」としてしまうところだ。「ごとく」「ように」の直喩表現は食傷気味である。「ごとく」等を使わずに、読ませるようにしなければならないということを気づかせてくれる。
芍薬のつぼみにのぼる蟻ひとつゆふぐれの風あたらしき中
花の咲く季節は、同時に虫たちの活動が活発になる季節でもある。蟻は小さいが黒いので、華やかな色の花弁に歩いているところは、容易にみつけられる。それを何の感情もはさまず、淡々と詠った歌である。
むしろ、花弁をゆらす「ゆふぐれの風」という句が、作者の感情を表しているポイントとなり、読みやすい自然詠としている。小池作品としては、存外めずらしいタイプの歌かもしれない。
昨年よりいかにもあはき色あひに灯りそめたる庭の紫陽花
これもそのまま読めば、ごく普通の自然詠であるが、「いかにもあはき色あひ」の「紫陽花」をみつめている作者の境涯が投影されているように思う。
植物の成長の変わり様は、温暖化の影響という見方もできるが、この場合、永年の教職を辞した作者自身の心の変化のようなものが、この歌からは感じられるのである。
掌(てのひら)のうへに五月の小鳥ありなんとかなしきこゑに鳴くかも
雀の雛でも拾ったのであろう。作者はそれを掌に乗せて観察をしている。雛の立場からすれば、親鳥から離れてしまった異常事態に鳴くほかない。
その鳴き声を単刀直入に「なんとかなしきこゑ」と表現した。この世で、この雛ほど悲しく鳴くものはいないという、やや大仰な表現が、新しい生を生み出す五月というさわやかな季節と対比されている。
短歌人で書かれている作品に比べると、読みやすいという印象があるが、それは対象が一般読者と短歌人会員の違いから来るものだろう。なかなかの一連である。ご一読を。
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May 11, 2008
春雷
春雷に自転車一台たおれたり松屋牛丼におうあたりに
花見にはまだはやきまち夕暮れて天にとどかぬクレーンの数機
排煙の跡のこしたる煙突のもとに息づく綿毛蒲公英
もも組さんさくら組さんゆり組さん子らの笑顔はコンクリのなか
人おらぬ歩道に雀は群れをなし桜を愛でる暇などあらず
ありふれた風景としてロータリのぞめば蒼き空ばかりが冴え
あかき車に吸い寄せられて羽虫まう燕のかげにおびえるように
ティッシュくばる青年沈黙したるまま動機なき殺人者のごとく
街宣車は検問にあい止められつ野鳩の路上にさまよいあるく
街路樹の新緑ふかき影をなす裁判員などなりたくはなし
三体のマネキンの着る三着に暖色はなく春のふかまる
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April 12, 2008
漢字
財務省前の庭園春のきて造園師らは雑草をぬく
慌てずにぬく姿よしはるかぜに急かされわれは会議へむかう
文化審議会臨時委員の辞令うけ月に一度のおつとめ果たす
開会のこえは湾岸署内にてながるる指令のごとく響きぬ
ケイタイに開花情報伝えらる日本語教育小委員会の席
ウェブには蠶のあまたあらわれて頻出漢字三十一位
画数の多さとかたちが好まれてテキストアートに蠶あふるる
第一位は人、少子化のすすむ日本に文字のみの人
はめ殺しの窓にかすかに映りたる夕陽コローの絵画のごとく
春は別れ、その感慨を押し殺すマツモトキヨシ閉店間際
短髪に富士額は目立ちたりせいねん路地に氷切りおり
オフィス街に七日と八日「花の日」の開かれ桜草は咲きつぐ
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March 10, 2008
節句
西空に寒気ともなう雲のあり「手がつけられん」と暴落、TOKIO
西空のくろき雲みる視界には会津銘酒のネオンサインあり
稲妻はひかれど何も音のせぬ世界ノオワリハコノヨウナモノ
時を置き風向きかわる北風に音せぬ車がわがわきをすぐ
脇の下に潜り込みたる飼い猫としばしねむるを春眠という
駅頭にHIROTAは桃の節句ゆえ桃色の箱あまた用意す
月曜夜オヤジだらけの駅頭にHIROTAは時をもてあましたる
娘もたぬ身に桃色の花びらのひとひらとまり三月三日
クロネコの大和のひとは突然のはげしき雨に荷をかかえこむ
入り口に灯る電球ゆらゆらと冷たき雨に湯気をあげたり
定期異動気にするものらはこの季節はたらくはたらく節句働き
アブのとぶ花壇にねむる風よわき日溜まり人と白猫ねむる
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February 12, 2008
冬日
霜柱を踏みしめるたびに響きたるザクザクとうおと冬日の証し
踏みごたえある高さまでせり上がり「昭和に戻った気分ですこと」
キセキレイ勢いつけて飛びたちぬ舗装路わずかにへこむあたりを
舗装路に老婆のよろけ尻もちをつけば「だいじょぶ?」「だいじょぶ!」の声
坂道をのぼる老婆は朝焼けの空へとむかい消えゆくデジャ・ヴ
優勢なる高気圧に覆わるるけさは斑霜寒気のゆるむ
薄氷にたつ十三羽池の上にうかぶ八羽のユリカモメなり
アイガモのゆっくり斜面をのぼりゆく天路のごときいっぽん道を
噴水の元栓しっかり締められて楓落ち葉と三毛猫あそぶ
まだら模様の雪原徐々にひろごりて節分蔡は中止となりぬ
右足をやや前にして佇みて雪うくるままのマガモは一羽
また白きもの混じりたり坂東の鬼神はまちに詩情をあたう
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January 18, 2008
曇天
雲上より急下降する心地して仕事始めに電車はこない
煙草くさき髪の女がまよい込むここ六号車に座席はあらず
いまにも降り出しそうな空みあげ埃まみれの眼鏡に気づく
雑誌売るホームレスは多忙にて涙目の猫などかまわず
ドロップのようなる色の電光の文字のながるる負の符号もち
年初来下落のつづく東証にしっかりせよと弁才天の声
アメリカが風邪で寝込めばニッポンは肺炎重篤、嗚呼TOPIX
グローバル企業に海外収益は溢れど日本に使い途なし
証券会社店頭ボードを背景に今宵も個人投資家がぶつ
エビちゃんの睫毛のようなる反転をねがいて今年の松飾りをとく
息づかい聞こえぬものに打開策うてるはずなく麻花童《まーふぁーる》食う
肉まんの肉汁ゆたかにあふれだす温き寒中灰色の雲
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December 11, 2007
南行
一車両にベイビーひとり居てくれるだけで世界はハッピーになる
父白人母黄色人種出生地主義ゆえ日本国籍の子よ
笑顔ふりまくベイビーの見つめたるさきに北京語にいさんねえさん
赤ら顔の男むっつり目を覚ましハーフのベイビーとご対面す
笑顔消えむずがるベイビー抱きあげるわかき父親「あぶない」「アブナイ」
ひと言も日本語はなさぬ母親は降車してゆく品川駅に
半円をえがきて止まる円柱のかたちがしばし視線あつめる
リップクリーム転がりいましこんこんと眠るおんなの足下にある
蹴られたるリップクリームわが靴にあたる南行電車は速度をあげて
横揺れの激しき区間をとおりぬけ真南にむく南行電車は
進入の速度わずかにはやすぎるリップクリーム東へ西へ
葬祭場チャペルの広告ならびいる南行電車の師走静けし
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November 13, 2007
四十二・一九五キロメートルの舞台裏
古来、人間が一日で踏破できる目処はおおよそ四十キロメートルとされている。江戸時代、旅人の一日の行程は十里であり、『走れメロス』で設定されたシラクスの市とメロスの住む村の距離も十里である。
そのむかし人が日に日に歩きける十里のみちは真実遠き 小池光『草の庭』
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November 10, 2007
西下
珍しく晴れたる朝「西下」とう言葉のいみを問われておりぬ
数名が降り数名が乗り込みし十二号車のすみ子犬がなきぬ
見あぐれば雲不規則にながれゆく谷地ふかくまで黄金のたれて
尾根に沿い送電鉄塔うち立てる全土あかるき日本のために
フレア出やすき五センチのレンズ携え京のまちゆく
配管のゆくえ異なる給湯器二台ならびてうなりをあげる
いっぽんのフィルム撮り終えお抹茶と落雁によりしばし息つく
桂川に沿いてのぞみのゆくあたりマンション群は西陽に焼かる
羽田まで止まらぬ快速とび乗れば死出立のごとき娘に出会う
コスプレにしてはリアルな西洋の幽霊風のメイクでありぬ
警戒船赤旗かかげ回り込みレジャーボートの侵入ゆるさず
ふと神戸炎上の記憶よみがえりつくづく怖し冬の落日
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November 08, 2007
短歌人会に入会してちょうど10年が経過した。1998年の1月号から作品が載っているはずだが、この間、例月の作品は一度も休詠はしなかった。とはいっても、それほど誇るべきことではなく、締め切りが近づけば、重い腰を上げ、なんとかまとめるという10年だった。ゆえにあまり進歩のない歌ばかりつくってきたことになる。
昨日、同人1への昇欄の通知が来て、率直にうれしいと思った。所属する団体の事務局で課長、次長、部長と昇格をしてきたが、それほどうれしいとは思わなかったことを考えると、ちょっと意外な自身の側面を知った。
これからも短歌とは、ある間を保ちながら付き合っていくことになろう。その間の取り方が、存外難しそうだが。
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October 11, 2007
平和
渋滞の報酬として知りえしは小泉純一郎事務所の在処
お国入りすること少なき元総理ヴァグナー歌劇「リエンツィ」好む
護民官らしき言動なつかしくポスト安倍には立たぬ小泉
死の気配あふれし病室ことごとく崩されつむじ風の舞いたる
いびつなる土地のあらわる救急指定塚越医院解体ののち
あまたひとを看取りし病院は跡形もなく死霊もろとも
この辺りの決まり事なりマンションは中層にして着工まぢか
真直ぐに歩みて誰ともぶつからぬ今朝は平和なプラットフォーム
我先にと空きたるところに殺到し誰も座れぬビミョーなる間
グレーゾーン金利うばわれても笑顔わすれぬ消費者ローンの広告
イヤホンをはめたるままのハミングは一小節節ごと転調重ぬ
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September 13, 2007
残暑
『赤光』よりポストイットをはがしたり桃を食みつつ山となすまで
水まけば黄蝶三頭まいはじむそののち二頭きえてしまいぬ
アブラゼミくわえたるまま夏空にとびたつ黒色、嘴太烏
烏二羽なにやらつつく草陰に子猫ちいさくうずくまりいる
頭上にはヘリの飛びかう、炎天下〈子猫救出作戦〉はじまる
掌にのるほどちいさき猫の子は目を見ひらいて吾を見つめる
参道をゆくひとの傘いっせいに開きそれぞれ秋なす朝
日本奇術協会元会長の訃報は秋の風に吹かれて
〈軟式野球・ソフトボールのみ利用可〉とある野球場泥にうもるる
雨あがる名古屋の町のくろき屋根かわらの屋根の美しきかな
徐行のぞみの渡りゆくさき老人と鷺かげおとす川面また雨
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September 12, 2007
August 08, 2007
盛夏
あさがおに氷の盛られすこしずつ氷のとける音に聴き入る
御殿山ガーデンオフィスマンション群みあげかえりぬ梅雨のさなかに
酒くさく空調きかぬ車中にて平然とただ抱きあう男女
「こんばんは横浜港の花火」ゆえ南行電車は徐行に徹す
…いつになれば発車するのか…次々とひとの乗り込みわが背にせまる
大森をすぎしあたりで酔客が倒れ込みたり二号車後部
こうなれば音量をあげiPod聴くほかはなく中島美嘉よ
圧縮を解き放たれて響きたり.AACより切なき歌声
招待状に付されし地図はあいまいなる記述の多くあるき続ける
男坂にまよい込みたりこの地図に男坂はなく更にまよいぬ
盛夏、夕、汗はとまらず男坂の底方よりみる母子草かな
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August 03, 2007
修辞は、詩を詩たらしめる機能を果たす表現手法と一般には考えられている。しかし歌人は、そのようなことは意識せず、言葉の連鎖のなかで、結果的に修辞となる効果的な句を選び出す。例えば、啄木のこの歌。
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July 11, 2007
日常
丸ビルのおとなり新丸ビルの建ちひとの流れはふたつに分かる
核シェルター、あるいは異端者収容所になりうるほどのひろき地下道
あみだくじに導かれたる心地してブランドショップをめぐる回廊
買うべきも買いたきもなく回廊に立つおんならのほそき顔立ち
照り雨のミストのごとく降りそそぐ平川門はいまし閉ざさる
遊歩道には遠巻きにする数にんのみゆプラタナスのもとの薄闇
点滅灯きえて救急隊員のヘルメットにひかる雨粒
見あぐればイタズラ書き禁止とうイタズラ書きに隠る公約
緑陰にモナカアイスの頬張りぬ蟻すう匹に恩恵を垂れる
日曜の十五時をすぎ陽のかげり家族は明日への備えはじめる
「まだ遊ぶの」と泣く幼児らに明日はなしアカミミガメは池水にもどる
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June 18, 2007
水底
新緑のまぶしき季節に浮かびたる軽井沢駅にいますべりこむ
〈あさま〉より降りたるおとこおんならに阻まれみえず浅間山頂
千曲川ながるるままの時をもち白くあかるく空をうつしぬ
人影のみえぬ左岸に腰おろす小舟の朽ちて墓標の溢る
濁流に運ばれ来たりし春楡の右岸にそだち若葉しげらす
イヤホンにしずかに流れる〈無伴奏〉鼠橋より水底のぞく
ロータリに水の撒かるるアイドリング・ストップ・バスのやがてあつまる
文具屋の隣にタロット占いの店ありうすきベールの奥に
託宣に聴き入るおんなの背後には人通りのありみなのぞきこむ
首しげく左右に振られ薄暗き部屋に光は射すはずもなく
俄雨にわずかに傾ぐ傘の列、西から東へひとは急ぎぬ
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April 29, 2007
今年は、啄木が岩手渋民を離れてからちょうど百年だという。
今日の日経朝刊最終面でで、新井満が自らの啄木体験を記しながら、啄木の歌に曲をつけ、地元の小学生に歌ってもらったことが書かれている。
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April 14, 2007
早春
鶯のすがたは淡く裸眼にも映りき木立に葉も花もなく
起伏富む湖畔のみちに獣らの侵入ふせぐ電線はらる
電流の流るるラインそのたもと蕗の薹みっつ顔のぞかせる
虹鱒をねらいて腰まで浸かりたるフライフィッシャー確立わるし
船外機のエンジン切られたるのちのざわめき「やっと、やっと、やっとだよ」
湖畔にはプリンスホテルのリニューアルオープンをまつ春まだ浅し
銀座にて旦那とよばるる男らは桜と無縁の顔してあゆむ
スワロフスキー身につけ女が通いたる並木通りに花売りあふる
ねえさんがからんと落とししケイタイはちりぢりとなり花弁のごとく
花冷えに散る桜花かがやける長寿が幸といえぬ時代に
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March 12, 2007
月刊文藝春秋の最新号(2007年4月号)で、松村由利子の作品に出合う。最近は総合誌に目を通すこともなく、ましてや各種の短歌賞の受賞作品にも関心を持たず、この人が第7回現代短歌新人賞に選ばれていたことを今知ったほどだ。
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March 11, 2007
東京
雨音に導かれたるレースかな「42 .195 km(シニイクカクゴ)、もうすぐおわり」
東京の海に潮の香あることをしばしたのしむ海辺へゴール
数日をへてのち一気におそいくる気怠さそれは長駆の証し
今日もまた降りやまぬ雨ひと多き中央通りにランナーおらず
〈世界中古カメラ市〉にさそわれてあゆむ銀座に色濃き意匠
四丁目の二度の左折は人生の一仕事として記憶にのこす
十日後も気怠さのこるゆえこよい鍼十数本をうたれてねむる
エルタワー十九階より見おろせる靖国通りに車列うごかず
乾門はな咲くまえの桜木は枝ぶりのよく雨はあがりぬ
われにバナナ、妻にはスイートピーの贈られてともにすっかり色は変わりぬ
変わらぬは完走メダルの真鍮のごとくくすんだ西空の月
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February 13, 2007
夜空
期待値を超えることのなく一日はすぎ異国より大彗星の報
マックノート南半球にあらわれて髪なびかせる夏の夜の夢
西陽あびニコンハウスにならびいるマニュアルフォーカスレンズ数々
数寄屋橋ゼブラゾーンに二の腕をさらす女がわれを追い越す
味彩のオヤジの出前をやり過ごす並木通りに支那ソバにおう
旧京橋瀧山町ビルヂングのくすみ啄木あらわるるかも
鼠蹊部のいたみ右足引きずりてあきらめ下る中二階より
昇降機メーカーの名をさぐりつつスプートニクに乗りこむ心地
九十分コースに身体あずけたりあちらこちらのいたむ身体を
猫餌をたずさえとうに陽の落ちし路地裏にたつ鼠よこぎる
とめどなく食欲わきでる猫といて花椿通りにみゆる半月
かつて池谷・関彗星にわきし日本の空に星なく
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January 10, 2007
空想
あたたかく羽虫の群るる走るほどに汗しおからくなりてゆくなり
廃屋の崩るるままの漆喰にアリ数匹のまよいたるさま
噴水も水遊び場も水は涸れイブの公園、花は山茶花
閂を足がかりにして裏門を越えてゆく猫、さび色の猫
〈黒檀の馬〉のおはなし今日のおはなしとして初春によむ
千一夜物語のごとく国々に似たるおはなし満ちているとぞ
乱高下したる市場のさまを見つナッシュ自伝再読最中
むき栗を食べつつ開封してみれば数百円の配当通知書
定期券販売所にはあたらしき日捲りがあり既に七草
森羅万象、メトロにてみる夢それはただの空想
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December 26, 2006
先日、マサチューセッツ工科大学助教授のイアン・コンドリー氏と意見交換をする機会を得た。文化人類学者のコンドリー氏は現在、日本のサブカルチャーを研究対象にしている。今回、コンドリー氏から教えてもらったのは、「ファンサブ」というネット上のブームのことだ。
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December 11, 2006
階調
北風にはこばれ雨粒砂粒の激しくあたる嵌め殺し窓に
終着にちかづき車窓に過ぎゆくはラブホあるいは専門学校
おくれたる〈スーパーひたち〉をまつ人の群れ星雲のごとく動かず
月のまだ西空にある朝かな飛蝗のよこを蟻とおりすぐ
笛太鼓ギターの音の間の抜けて格差是正をもとめデモゆく
地下鉄の駅にいたれる坂道のつむじ風舞うところをのぼる
三年坂くだり来たれば累々と屍のごとく落ち葉しずまる
千円札かぞえる女の脚ほそし銀座の駅にするり降りゆく
無防備なる看板もちの背後よりレリーズを切る独りのわれは
モノクロの写真の暗部に禿頭さする男のぼんやりうかぶ
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November 11, 2006
遅延
幾重にも水の流るるいっぽんの流れになれぬ安倍川下流
鷺二羽のわかれて食餌にあゆみ来ぬもはや陽のなき合歓木町に
一ヶ月先まで食えるアンパンを頬張る遅延ののぞみ車中に
轢死体処理する作業に手間取りて新幹線は遅延をかさぬ
マンションは〈単身赴任歓迎〉の垂れ幕かかぐ、徐行の最中
迷宮への入路のごとく変電所〈立入禁止〉に鉄十字の印
スピードをあげつつ汗をぬぐいたりきいろのカンナの咲く霜月
傷負いし仏陀の身より血はながれそののちカンナはあかく咲く花
そのあかの色素を抜きて黄色のカンナつくらる仏陀いずこに
狂い咲き各所にみられ温かき街に溢ふるはいじめのニュース
南風にのりて雨粒右肩にかかりそのうち鼻にもかかる
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November 03, 2006
吉田秀和氏の「音楽展望」(朝日新聞)が復活した。四季毎に一回という限定だが、ともかく再び、吉田氏の音楽評論が読めるのは幸せである。
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November 01, 2006
結社コスモスの奥村晃作氏は、私の中学三年の時の担任教師である。社会科教師として独自の視点で授業を展開、憎めない性格で人気があったが、どこか醒めている感じを与える先生だった。
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October 19, 2006
静寂
南西の森にあまたの鴉すむ天敵もたぬもののさざめき
猛禽類を天敵として優しさの満ちるまちには鴉のふえる
ソとラの音つかいて鳴き真似してみれば鴉いっせいに飛び立つという
暗がりより海猫の声ひびきたり、みなとみらい線の終着
凍りつくほどの静寂、地下道にハイヒールのおと遠ざかる
文明を受け入れるためにつくられし遊郭いまのハマスタあたり
最下位のベイスターズなるチームにも声援おくる人のあつまる
風雨なおつよき横浜、ここちよく爆弾低気圧に包まれ
ヒマラヤスギ青葉をたっぷり落としたり大雨強風のちの憂鬱
舞う枯れ葉つかもうとしてよろよろと幼子も舞う桜並木に
ライナスのごとく部下を翻弄す北東隅の部屋の静けさ
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September 21, 2006
「事故、自動車」と題する23首より。もらい事故で自家用車が破損し、作者自身と娘さんが怪我をした際の一連。こうした作品はリアルでわかりやすいが、作者が起きた事柄を第三者的に整理できているかがポイントとなる。
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September 12, 2006
残暑
胸元に日焼けのあとをさらしたるおんな舟こぐ環状線に
眼前に老いも若きも「ワッハッハ」みなオバチャンの顔してわらう
雨上がる関東平野にかえりきてエンマコオロギの初鳴きをきく
白猫も黒猫も棲むほそき路地こぼれ種よりペチュニアの咲く
軽鴨の数たしかめて欠落のなかに息づく生をよろこぶ
点々と睡蓮の葉の黄ばみゆくひと夏かぎりの命たばねて
炎天下芝生にもぐる雀らは虫をついばむ人おそれつつ
いっせいに飛びたつ雀に驚きて幼子ベソをかく北の丸
アキギリ属シソ科サルビア、コンテナにくたびれ残暑の重たき空気
巻雲の光れる西空見あげつつ狗尾草を根こそぎ抜きつ
蚊を一尾にぎりしめつつ家に入る秋刀魚焼かるる香(かざ)に救わる
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September 09, 2006
「黒皮手袋」6首より。面白い試みのなされている一連だ。
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August 29, 2006
この原稿を書いている五月下旬、横浜では睡蓮の花が咲き始めた。睡蓮といえばクロード・モネ(一八四〇- 一九二八)、モネといえば睡蓮というくらい、モネは数多くの「睡蓮」を描いた。
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August 28, 2006
お盆休みの後半、連日、高校野球のテレビ観戦に明け暮れ、未だにその興奮状態から抜けられず、短歌どころではなかったが、そろそろモードを変えようと思う。まずは、「猫の舌」の精読である。今回は、個人的に好きな一連である。「胡座する場所」10首より引く。
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August 19, 2006
昨日の記事で取り上げた西村美佐子のこの歌、
触れるたびぴくりと動く風があり 空間といふずんどうの性
を再考してみた。
確信がもてたわけではないが、仮説めいたものは得られたように思われる。
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August 18, 2006
「秋」と題する11首より。面白い歌もあるが、ピンと来ない一連である。
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August 13, 2006
中華
ケイタイに龍を彫りこむ職人の顔はどこかでみたカンジの顔
どちらかといえば人相悪き顔、レンズ向ければわめきて拒む
この国にあまり聞かれぬ音域のわめき声かなしばし楽しむ
〈NHKにとりあげられました〉ひらがなのやさしき字体が並びておりぬ
彫る絵柄をきく気持ちの失せており素見の客となりて立ちさる
みなとみらい線に運ばれ来たる者まずは中華の商いを識れ
この街に手相見の増え千円で五円のおつりは〈ご縁のお守り〉
〈占術学院生徒募集〉と〈開運の水晶製品販売〉林立
定番は手相、肉まん、タピオカティー、それじゃわからぬこの街のこと
関帝廟脇の萬和樓におり台湾の味まこと懐かし
台南の駅に昭和が残ることなど語り合い料理をまちぬ
香しき麻醤麺の一皿を喰い終え決戦はじまる気配
スタジアムのぞむ通りに逃げ水のみゆスタジアム満員札止
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August 09, 2006
今日は、「草津・軽井沢」25首より。冬の家族旅行を詠ったもので、旅行詠、自然詠としてもよくできた一連である。
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July 27, 2006
July 17, 2006
July 15, 2006
久しぶりに、一冊の歌集をじっくりと読み感想を書いてみることにする。まだ夏休みには早いが、時間が比較的とれる夏の間に何冊か読んでみたい。最初に取り上げるのは、西村美佐子の「猫の舌」(砂小屋書房、2005年12月刊)である。短歌人の同人として活躍してる西村の作風は、今日の作家のなかでも特異である。実景が実景のまま詠われない。しかし、しっかりとしたリアリティがある。そのような作風だ。

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July 13, 2006
運河
タンクローリーに追わるる道の側壁に〈地獄へようこそ〉という落書きを見つ
運河沿いに古びたアパルトメントたちならぶ潮引きはじめ月は隠れる
TCK左手にみて曲がりゆく横羽線を見上げれば雨
農林水産大臣賞典目前にひかえて馬場の底いに闇夜
月おぼろなるままぽつりぽつり雨降っては止みぬ運河のほとり
裏白の樫の木の葉すうまいがゼブラゾーンにねむる十六夜
警察署前の歩行者信号の点滅時間はひどく短い
赤のみが光れる路面その赤き光の影に猫横たわる
BSを消せばスズメのさえずりの聞こえてきたりファイナル終わる
紋黄蝶二頭乱舞すそのさまをストレッチしつつ眺めておりぬ
ゴミムシのかかるトリップ鶏肉の腐りてはるか前世のにおい
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June 29, 2006
・・・短歌人の評論賞に初めて応募、落選作ですが、ご笑覧下さい・・・
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June 25, 2006
昨年から、自宅の庭で葡萄を育てている。植えつけた欧州系の葡萄は、私の住む横浜では育てにくい。通常、一月に剪定を行うが、その後、氷点下の積算が四十五度にならないと葡萄は目覚めないとされている。しかし横浜では、氷点下の積算が四十五度になることはない。ゆえに葡萄は、半分寝ぼけた状態で春を迎える。これでは到底、良い実を付けることはできない。
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June 12, 2006
生存
南方戦線玉砕の図のごとくして食材あふるる厨房に入る
蟻、羽虫、ゴキブリともに生きのびる此処は父母すてし厨房
沢蟹のソファーのしたに干からびる父死にしのちの風景
防湿庫に防湿剤は役目終えそれぞれ楽なかたちに固まる
液漏れの激しき電池に指先の皮膚はたちまちただれてしまう
つぎつぎに〈東京行〉は到着す足踏み入れる余地はほぼなく
傘させぬプラットホームに霧雨の浮遊したるを女が見つむ
祝電とファレノプシスの届けられ小山なす部屋ふえる暗がり
蕾なす花茎たどれば最先端のふたつがあかく干からびている
郵便局前にて聖書をそらんじる女すむ街、逃れられない
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May 16, 2006
最期
わが腕の電波時計をもとにして臨終の刻、二時十七分
まだ温き父のからだは亡骸となりて車の手配すませる
葬儀社の男やたらに人なつっこく未明の街に車を飛ばす
霊前に大掃除をはじめたり人起きぬ前にすべてを終えん
二時間の仮眠ののちに住職へ連絡をとる舌のもつれる
葬儀社のすすめは華美にならぬもの「これでも何とかサマになります」
お茶だけは少しランクの上のもの選びて数は控えめとする
近親者にてすませる旨の連絡に「それはないぞ」と携帯が鳴る
老人会、自治会あたりの名も知らぬ人びと集いありがたきかな
出棺に釘は打たれず涙する機会うばわれ黒塗りに乗る
ダイオキシン対策ゆえに低温にてゆっくり火葬をされたる父は
ウーロン茶、ビール、ジュースをさばくうちてのひら数カ所血の滲みたり
過去帳も仏壇もなき寝室に遺骨、位牌、遺影のならぶ
旅好きの父はナスカの地上絵など見ているだろう高き空より
遺言はなかった「カメラ、使えよ」と数日まえの言葉は淡し
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April 07, 2006
生命
茶筒より薔薇の香りのたちのぼり茶葉ふり出せば虫の蠢く
こつこつと時刻みたる〈deathwatch beetle〉すなわち死番虫のこと
紙木材が好物という死番虫わがリビングにフレーバーティー喰う
お客様相談室に報せたる翌日コーヒーセットなど届く
CSR経営ゆえに調査報告よせる書簡はスイーツとともに
葡萄木の苗うえるために掘りすすむ、大きなる石にわれは拒まれ
カンカンとシャベルの音は死神の鎖骨打ちたるごとく響きぬ
地中より甲虫目の幼虫のあまたあらわる輪廻の果ての
花冷えに無名数なるさまざまのもののぼり来る九段坂なり
山門をくぐれば人の声とだえ逝く人びとはふり返らない
坂道のまにまに速歩の緩みたり音羽のまちに花まつりかな
「切り花が泣いているから…」花を売る露天商にせまる気功師
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April 03, 2006
1月22日に開かれた短歌人の新年歌会において、私はとんでもない誤読をしてしまった。
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March 10, 2006
生業
この道にほほえむカーネル・サンダース、ときには現場検証の跡
駅中のショップにまぎれ消えし人〈ウ・タント・ホール〉にともに駆け込む
移民政策論ずるパネルに加わりて締切せまる稿を思案す
宮益坂くだれば誰かの落としたる紙数枚が春風に舞う
納品書らしき薄紙ふんわりとわが眼前に浮かぶやさしく
慌てたるそぶりも見せず配送人紙数枚をひろいあつめる
墓地があり教会がありコンビニがある、かすれたる建て売り広告
前二棟売れて五か月、奥二棟売れずに雀のやかましきかな
パイロンの割れて倒るる路地にあり二匹の猫がにらみあいたり
トランスの真下に猫は動かざり静かに揺らぐ夕陽をうけて
陽のおちてゴミ収集車がはしりだす間合いつかめぬ人らとともに
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February 17, 2006
規範
おぼろげに顔浮かびたる人びとの名刺たばねる法まもるため
〈経営上の重要事項であります〉と個人情報机上に置けず
ことこまかに解錠・施錠のマニュアルがつくられ日ごとまもるひたすら
カギの数かぞえるほどに悩ましく落とさぬように無くさぬように
〈溶解処理が基本原則〉紙媒体の即時廃棄すすめる提案
ふりやまぬ雪窓越しに見つつよむ十年前の出張報告
備忘録に個人情報ふくまれて廃棄処分の箱につめらる
ロッカーに放置されたるモノのうち破魔矢はすてるトランプのこす
〈上か下か〉〈内か外か〉の其の差異に移民第二世代はもがく
新定理、〈郊外〉×〈若者〉=〈ニコラ・サルコジ実権強化〉
不用意にわらいこけたる人びとの透き影として風刺画いちまい
月の出で雨粒おつる夜のあり反故の山に子狐のみゆ
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February 01, 2006
リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)は、楽劇『ニーベルングの指輪』において、10数時間にもおよぶ長大な楽曲に加え自ら台本を書き、上映のための劇場をつくり、後世の人々が容易にそれを鑑賞できるよう、子孫たちにその劇場の管理、運営を委ねた。その結果、毎年夏開かれる「バイロイト音楽祭」や世界各地の歌劇場で、『指輪』はいまでも上演され続けている。
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January 11, 2006
月刊文藝春秋2月(81ページ)に小池光が登場、8首を寄せている。4首、引いてみる。
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January 09, 2006
短歌は、本来、きれい事を忌避すべき詩型であるが、実際はどうなのか。他者に当たれない、自分自身の瑕疵による出来事、あるいは真の修羅場を歌人はしっかりと詠っているか。私にとって、かねてから課題となっているテーマの一つだ。

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January 06, 2006
日本経済新聞の最終面に「私の履歴書」というコーナーがあるが、元旦より作家の北杜夫氏の連載が始まった。周知の通り、北杜夫氏は、斎藤茂吉の次男(三番目の子ども)であり、北氏本人の生い立ちはそのまま歌人茂吉の人生でもある。
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December 30, 2005
J・K
炎天下だれも見上げぬ青空よりカラスの影が剥離したりき
ただひとつ空きたる駐車の枠に二羽雀が瀕死の蝉うばいあう
両の羽左右に開かる、傍らにおれどにわかに悲しみわかず
言いしことかならず遂げるマジシャンのようなるJ・K壇上におり
五票差にて可決されたる衆院にふかく頭をたれるJ・K
お国入りする議員らを追うカメラ丸の内中央口にあふるる
カナブンの路上にころげ轢かれたるさま見ゆ黒の車列はつづく
〈護民官〉をえらび聴きいる密室に空調とまり息苦しくも
雨雲を示す画像は赤黄青にぬられ移ろうかたち変えつつ
カーソルの消えて固まる画面にて〈解散必至〉の見方しるさる
説得を拒みし二十数名の議員がすわり「議場は閉鎖」
あきらかに青票おおし開票の前にテレビは否決を報ず
大差にて否決されたる参院にJ・Kおらず予告のとおり
「自民党をぶっ潰す」とう公約を果たし心に満つものありや
天皇の国事行為の解散は「国民のために」と七条にあり
農相罷免、閣議決定、天皇の署名押印、半日の間に
独裁者と呼ばるるJ・K憲法のもとに正しき手順をふみぬ
参院の否決ののちに代議士はたちまち無業にかえる、万歳
韓国の大統領が羨望のまなざしむけるJ・Kの断
宰相の決意にかかる解散を海部、龍太郎はせぬまま去りき
解散にかつて「死んだふり」「ハプニング」があり今宵「郵政」
総選挙おりこみ済みの市場には買いの入りぬ国境こえて
党本部に選ばれし者つぎつぎと落下傘にて選挙区に降る
最終戦争最終盤の策として造反者には刺客をおくる
〈犯罪人vs野獣〉は良きたとえ、東京十区眉に火がつく
傘の柄の曲がりのようにその先は新党になくいずれは復す
曇天のアクアラインをわたりゆくワゴン車ばかりにわれ囲まれて
緑なすウォーターフォールの陰にいてただずぶぬれになるを楽しむ
入り盆の東京湾口風はなく小舟釣舟おのおのまどう
八方に水をまくうち四つ辻の〈止まれ〉のれの字に虹よこたわる
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December 12, 2005
空間
いつの日も人はいのちを弄ぶこよい十三夜ゆるる蘖
なお低く虫はなきつぐ還るべきところ失うものらのうめき
満ち引きのなきまま終わる週のすえ神田河岸に人の声なく
ニューヨーク証券取引所
充電中ニカド電池が熱をもつ夜明け彼の地の市場をさぐる
遠からず去ることになる席まわり埃はらうため蜜柑をどける
ポストイット散乱したる二段目の引き出しのものすべて捨てさる
崩れたる名刺の束を整えてそのまましまう当てのなきまま
人事考課表
そのような名の部下がおり最後まで素性不明のままに去りにき
百合鴎数十のとぶ夕闇はその一画を避けて来るなり
霙ふる朝、WEBの予報図に描かれ冬のかたちは整う
電気系、水道系の管(かん)くねる吾あたたかき便座にすわる
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November 30, 2005
自在さゆえのとまどい
…憶えられないが忘れられない。感じるこ とはできるが理解できない…
ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグのマイスタージンガー』第二幕で、職匠歌人のハンス・ザックスが、突如訪れた若い騎士の歌唱を思い出しつつ語る行である。もちろん、ここまで極端ではないが、私は『ゆかしめて森』を読み終え、これに近い想いを抱いた。それはおそらく、武藤のまなざしの自在さに私が十分ついていけていないためだと思う。

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November 14, 2005
色づかぬ街
エスカールのひとつとしてわが脛にとどまり死せり縞蚊一匹
摂氏二十度境に蚊はとぶと実感したる今日、明治節
新蕎麦をうちて供する店まえにみな腕をくみ男がならぶ
白ネクタイ黒ネクタイのゆきかいて公孫樹並木は未だ緑なす
神明様に参るものらを囲みたる「祝七五三」の幟数本
七五三のお参りすませうっとりと色づかぬ街になごむファミリー
ご奉納ご寄進額の多寡により序列はきまり姓名ならぶ
黒ネクタイしめるわれらは大門をくぐりて三解脱門めざす
抑揚なきCEOの弔辞かな、ことりとなにか落つる音のす
焼香に遺影と視線を合わしえず「あなたは何処を見てるのですか」
送りたるのちの静けさ本堂をめぐり見上ぐる東京タワー
経穴に鍼十数本をうたれたるわが背、尻、脚見るはかなわず
さまざまにひかりは波長を保ちつつわが半身に差す「眠ってしまえ」
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October 09, 2005
冬支度
半袖のシャツに残れる東京のにおいをつつみ落葉松林
行動食、スポーツドリンクのみ背負い草紅葉なす稜線めざす
林床のやわらかきところに踏み跡ののびてにんげんの声が聞こえる
ハイカーを数数ぬきつ道化師のごとく眼と耳ひらきてわれは
岩稜にかかる梯子にゆび凍え命のあわき蜻蛉の見ゆ
風つよきコル越えてゆくそのたびにミストたたえる綿毛と出合う
ガスのわく大同心沢に手をあわせ息をととのえふたたび走る
沢沿いにくだり詰まれば巧妙に右岸左岸とわたりてかわす
山麓に晩鐘わたるほうれんそう一束もとめ百円を置く
拍節器きざむテンポの変わりゆくストーブの火の揺るぐ楽しさ
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September 28, 2005
September 26, 2005
いよいよ、「滴滴集」を読む、も最後となった。「言葉」という題の付けられた50首である。すこし長いので、二回にわけて読んでいく。
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September 10, 2005
夏籠り
目の前にならぶ女ら一様に〈TIFFANY & Co.〉の紙袋をもつ
うたた寝のさなかにガクンと人ひとりたおれ〈快速〉駅とおり過ぐ
駅員の乗り込み様子を見るあいだ車内に此岸のさまざまな音
十分の延発ののち雪だるま式に乗客ふえてゆきたり
えらび得るものかねてより少なくて所在なくつく目の前の列に
どんぶりものに小鉢がつくとレジ係にいわれ戻りぬ小鉢のまえに
料理ではなく給食でありグチャグチャの親子丼を口に押し込む
〈必勝〉と書かるる鉢巻する者のわきに〈ひかり〉を売る者あわれ
傘ささぬことが誠と候補者は雨降るなかに改革となう
ミートうまき一番打者が塁に出てその後おとなく夕暮れせまる
夕暮れてなお鳴きし蝉そのこえのただ懐かしく夏籠りおえて
エースよりホームラン打つ二番打者三塁まわりて涼風のふく
無灯火の自転車二台にはさまれり、何もおこらぬ十六夜かな
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August 31, 2005
引き続き、「滴滴集10」を読む。48首の後半部分である。
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August 30, 2005
August 17, 2005
「滴滴集9」の後半部分を読み進める。短歌を作る上で必要なものはいくつかあるが、私は、知識、見識、意識、認識の4つが重要だと思っている。そうした点で、この「滴滴集」でおさめられている歌は、お手本になるものが多い。
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久しぶりにBOOK OFFに行って、古本を見てきた。BOOK OFFFには、せまいながらも詩歌のコーナーがあって、句集や歌集が置いてある。正確に数を数えたわけではないが、おそらく100人以上の歌人が気持ちを込めて上梓した歌集が置かれていた。
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August 15, 2005
「滴滴集9」の40首を読む。作品数が多いので二回に分ける。
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August 09, 2005
台風接近
わき上がる雲のかたちはさまざまにひと弄ぶとらえどころなく
予報円しだいに近づく列島のかたち翳りて雨の降り出す
土嚢つむ作業ようやく完了し要塞となるメトロの駅は
日照り雲見上ぐるだけの数日を耐えて久しき雨をよろこぶ
傘たたくあまおとしばし濁音となりて外耳にいまもとどまる
矢のごとく降る雨あつめしたたかに千鳥ヶ淵はみどり滴る
肩むき出しの女とならぶ外苑の横断歩道は白雨に煙る
西新宿
ずぶぬれになりて佇む異人らのその先に立つオベリスク
円形の広場に水は流れ込み人は決して魚(うお)になれない
帰れなくなるやもしれずいち早くみな帰りたり、のちの静けさ
アジアの台風名は百四十
中国の付けし〈海神〉(ハイシェン)北朝鮮付けし〈つばさ〉(ナルガエ)ともに麗し
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August 05, 2005
今回は、「富士」(6首)、「塚本さんと地名を遊ぶ 埼玉編」(8首)、「晩秋雨色」(10首)より引く。
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August 03, 2005
今回は、「小景」「青蔦の這ふ壁その他」と題する作品を読む。
今週末に、わが結社、短歌人会の夏季集会が長野で予定されているが、初日の夜には、小池光による「短歌の、いくつかの問題」と題する講演が予定されている。短歌人会員以外の者でも無料で聴けるという新機軸だが、閉ざされた結社という世界では、こうした企画は珍しい。しかし私自身は未だに、日程が定まらず、長野行きが決められない。
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July 15, 2005
外道
流木のからまり揺るぐ中ノ瀬にわれも揺るぎて一日をすごす
スカンパの影なすところ涼しかりぽつりぽつりと鱚はあがりぬ
このもたれとれるか否かで決まりたる鱚釣りわれの好みたる釣り
唐突に糸を引き出し走り出す外道手ごわし腕試さるる
この引きは潮騒河豚と確信し竿しならせて少しずつ寄す
するどき歯もつショウサイの上顎に川虫針はしかと掛かりぬ
潮騒河豚さばく手順をあれこれと復習いてふたたび仕掛けをおろす
皮をひき内臓血合いをとりはらい棒状の身水にさらしぬ
こりこりと生の痕跡残したる半身に柳葉包丁いれる
薄づくりに仕上げてポン酢に葱を添え兎も角うまし潮騒河豚は
本命の白鱚天ぷら添えものとなりはて夕餉はただただ楽し
免許持たぬわれがさばきし河豚を食べ家族全員すこぶる元気
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July 07, 2005
風を見送る
戯れてイルカの泳ぐ 部屋隅に剥ぎとられざる葉月の暦
A四の厳秘資料に記されて結句となりぬ、九夏の事跡
輻輳したる歩道を泳ぎおもむろにガードレールを飛び越えてみる
八角柄の小出刃手にとり真穴子を鋭くさばく術を語らう
空を飛ぶものの類(たぐい)を数えゆく 背後に迫る雀色時
釣具櫻(さくら)にてテンヤをふたつ購えば明日も生きむと確かに思う
スフレ色に染む中空ゆ子雀をさがす番いが舞いおりて来ぬ
潮高く架橋くぐれる十センチほどの間合いにみな聲をあぐ
謎多き浦島太郎、鶴になり悲しく泣ける帰結やあらむ
海境に風を見送る 絶えだえに浦島太郎は風となりしか
入り海に浮かぶ流れ藻 嫁奩(かれん)より人魚のひきだす瑠璃のごとしも
太陽風に吹かれておれば唐突に潮騒河豚(しようさいふぐ)がスレでかかりぬ
白昼夢さめて白鱚飲み込みし流線針を強く引き抜く
ビミニツイスト・ダブルラインをあっさりと食いちぎりたりサーベルフィッシュ
うち捨てて来しあのことを……渋糸をたぐれば地蛸のふるふる踊る
観音橋のたもとをゆきてこの橋の川もたぬこと夕凪に知る
さらさらと出刃包丁を研ぐわれの真顔を映す後背の鏡(きよう)
ひと掴み塩ふりかけてやすからぬ生もつ真蛸の腕を揉みたり
塩よりも真水に弱く八腕類真蛸は死せり無月の夜半に
潮騒河豚(しようさいふぐ)の薄皮を剥ぐ、この皮を剥げよ剥げよと風の囁く
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June 19, 2005
このところ小池光は、賞づいている。紹介している歌集「滴滴集」が斎藤茂吉文学賞を、また時を置かずに刊行された「時のめぐりに」が迢空賞を受賞した。小池の実力、努力からすれば当然だが、歌壇という瓦解しつつある世界において、これらの受賞がどのような意味を持つか、多少は考えてみる必要がある。
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June 11, 2005
都市に棲むもの
金蛇は天界の陽を浴びている咲き遅れたるビオラの央
電線に八羽目の鳩とまるとき電線ゆれてすべて飛び去る
八羽目の鳩はことさら責めらるることなくともに何処へか去る
鳩を追う鴉がときに影を成す数日ぶりの晴天あわれ
雀らの騒がしく鳴く朝かなエサもつわれは定位置に立つ
五穀米よりパンドミを好みたる雀らトランスの上に棲みつく
鶏肉の皮切り刻み餌台に置けばほどなく食べ尽くされり
時々は生き餌を雀に与えんとよとうむしを探す夕暮れ
暗がりより二尾の獣の飛び出しぬドウカン山に住む狸なり
狸たる証しを示せと子に問われしどろもどろになるも狸ぞ
犬ならば「ワンワン」とほえ猫ならば「ニャー」と啼くらむ狸は「きゃおーん」
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May 12, 2005
北東気流
臨海の国立大ホールへと連なる列はノラを聴くため
ほの暗くすすむライブにうたた寝す二階後席〈Feels Like Home〉
陳麻婆豆腐を一度試さむとクイーンズスクエア地下へと降りる
ひんやりと北東気流にまぎれこみ北京語の声階下にひびく
反日の声の高まる週末に正宗四川料理を喰いぬ
本店の七掛けほどの辛さとう陳麻婆豆腐まことに辛し
ピクルスを食べては舌を整えて最後のひとさじ口に押し込む
三十万超ゆる人らの押しよせる音楽祭はナントの生まれ
LA FOLLE JOURNEE au JAPON 空せまき丸の内にてベートーヴェンを聴く
バギーにて幼児のねむるAホール、井上道義「運命」を振る
初日より二日目がよし二日目より最終日がよし〈熱狂の日〉は
旧ソ連対独戦勝六十年、赤の広場に虚実の溢れ
ティアガルテン〈ソ連戦勝記念碑〉の様なるものは日本にはなく
日独伊枢軸国に共通の少子化という現象すすむ
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April 28, 2005
さくら
〈どじょうすくい名人六点セット〉なる商品売らるるサイト訝し
安来節の資格審査に唄、絃、鼓、踊があると人に教わる
銭太鼓と書かるる鉢巻身につけて踊ることなど想像したり
迷彩色のダウンジャケット着込みたる者のくしゃみは谷(やつ)に響きぬ
水色のシートのうえに並べられ抜栓を待つ吟醸酒なり
想像力たくましき者ら集まりて無花の樹下にて宴ははじまる
いずこより花片きたり満開の梅のはなびら、夢のひとひら
花つけぬ桜樹幹はくろぐろと生きたりし証しかたちで示す
国府津行き電車にのりて桜咲くところまでゆく桜見るため
自生地を求めてゆけば済州島漢拏山とう染井吉野は
『ケナリも花、サクラも花』を残したる鷺沢萌の居ないこの春
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March 30, 2005
今回は「滴滴集7」、13の題の付い30首である。13首を引く。
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March 17, 2005
今回は、「鎌倉」という題が付けられた5首、すべてを引く。
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March 14, 2005
さむき弥生の
口外は快楽でありひそひそと話せば小さきこだまとなりぬ
こだまゆえに誰かに聞かるる運命ぞ人事発表さむき弥生の
雪のふる朝(あした)抜けだし西下する父倒れても朝(あした)は来たり
数センチ雪積もりたる県央を〈下りのぞみ〉は徐行に徹す
ダンプカーを追いてワゴンがいらいらと右に左に走路をかえる
大磯が境となりて白きもの目立たなくなり雪はここまで
〈iPod shuffle〉アット・ランダムなる選曲ときに巧妙なりき
京の町はおもいの外あたたかく三解脱門くぐりてゆきぬ
本堂に読経のひびく係わりのなき法要に諸々いのる
講演ののちに見下ろす鈍色の琵琶湖湖面に穴穿(うが)ちたく
自由席こそ自由なる空間であり二時間ほどの帰路をたのしむ
〈ギフ安八町〉とかかれる赤き文字きょうも際立つ弥生曇天
庄内川わたりて鉄路の幾筋かあつまり名古屋の駅に向かいぬ
南北におおむね沿いて立つ駅に西日はつねに右手より射す
排気口のはきだす湯気の大きなる協立総合病院かくる
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March 13, 2005
短歌人の同人、吉浦玲子さんのブログ「湖蓮日日」に「歌人への5つの質問・短歌は恥ずかしい?」というものがあり、それに答えてみることにした。
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March 06, 2005
March 01, 2005
「滴滴集を読む」は今回、「猫の来る生活」と題された19首より。10首引く。猫好きの作者ならではの歌が面白い。
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February 28, 2005
「滴滴集を読む」は今回、「何気になにげに、」と題された20首より。9首引く。
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February 18, 2005
今週初めより、風邪で調子が極めて悪く、今日は休暇を取る。これで回復するだろう。休みが取れたことは、とても運が良かった。
今日は、「さまざまな灯」及び「鴆(ちん)その他」と題された一連より。
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February 14, 2005
破産のあと
次々に車両あつまる、紙、テープ、ビニール紐をもつ者乗せて
三十年この地に水道工事業いとなみ無業にかえるその時
とりあえず金になるもの運び出す債権回収代行業者は
債権者にじゃまな上物一刻もはやく壊して更地にせむと
電線より垂れ下がりたる電線の先のベランダすでに崩さる
金をかけ廃材処分することを望まずその場で焼けるものは焼く
焼却が済みて広々とした土地あらわれ猫がしばし遊べり
猫の去りおとこ数人測量のために計器を運び入れたり
債務者の家族いつしかそのままの姿で暗き路地を通いぬ
きのうより時間をかけて夕暮れる静かに飛びかう蝙蝠数羽
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February 13, 2005
January 19, 2005
滴滴集4を読む。「天気予報」「政局」「カラスの巣」など14の題が付けられた30首である。
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January 17, 2005
今回も、滴滴集という題の付いていない歌群を読む。題は「春」、6首である。すべてを引く。
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January 12, 2005
今回は、「脳」という題の付けられた5首を読む。短いので5首すべてを取り上げる。
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January 09, 2005
滴滴集3を読む。「猫」「わらび餅」「蜂捕り」など14の題が付いた30首である。
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January 08, 2005
January 05, 2005
滴滴集2を読む。滴滴集はそれぞれ30首からなるが、題はおおむね15ほど付けられている。すなわち、平均2首一組が15盛り込まれいて、ひとつの題をしつこく追うことはしていない。それぞれの滴は自立しているということであろう。しかし、源流は一筋の流れから始まっていることは、読み進めていくと理解できる。
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December 31, 2004
本歌集は、「滴滴集」と名付けられた10の作品群と「赤椿白椿」「猫の来る生活」などの題を持つ作品群が混在している。短歌人本誌や他の総合誌に発表した作品がそれらであるが、作者の作歌姿勢は何ら変わることはない。本来であれば今回は、「滴滴集2」の作品群を取り上げるところだが、48首という読みごたえある「赤椿白椿」を読みすすめる。
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December 30, 2004
私が所属する「短歌人」の編集人、小池光さんが総合誌「短歌研究」に連載した作品などを「滴滴集」という1冊の歌集にまとめられた。作者のあとがきによれば、「連作といった大上段に振りかぶる発想を止めてばらばらな話題の歌をばらばらなまま併置するという趣向」の歌集である。「水の滴のようにつながらず落ちてくるのに任せるから滴滴集と名乗ってみた」とも作者は言う。私の住む横浜は昨日降った雪が屋根などに残り、気温が上がるにつれ、ぼたぼたと滴になって落ちていた。歌集に収められた歌は、滴のように自然の摂理に基づくものであることを期待しつつ、何回にわたって読み進めていこうと思う。
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December 08, 2004
November 11, 2004
September 20, 2004
あまり読んで頂いていないようですが、下記のページで私の既発表のエッセイをUPしています。ご高覧ください。
短歌人寄稿文
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September 10, 2004
秋の気配
耳鳴りの途絶えて今朝は空耳のごとくかなしきヒグラシの声
大航海にこぎ出すごとく四つ角の央に浮かぶ蚊をはらいたり
正調安来節鼓音譜にしるし付けつつ男はうなる
眼差しは虚ろになりて首折れて鼓音譜散らす品川あたり
急病人とみなされ男は電車より腕抱えられ降ろされてゆく
台風の予想進路はのびやかに北へと引かる明日を目指して
うなりたる空のもとにて出張の予定は二転三転したり
ひとつずつ固まりとなり盛り上がる雲はしっかり手をたずさえる
台風の名残の雲を真横より見る幸運には代償があり
グライダーのごとく旋回する機影前後に見えてわれらも仲間
不規則なる風吹き止まず陽光のもとに「当機は引き返します」と
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August 14, 2004
短歌は難しい、といわれる。「俳句は作ったことがあるけれど...。575だけだから簡単」などという声を耳にすると、やはり同じ短詩でありながら、両者の間には、かなり大きな壁が横たわっているのかもしれないと思う。そしてその最大の要因が、下句の77、14音の存在であろうことは想像に難くない。
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August 07, 2004
盛夏の記録
無機ジンク圧膜変性エポキシを塗られて橋は列車を通す
終着を間近に〈MAXやまびこ〉は速度ゆるめり大蛇のごとく
稜線のかたちにわき立つ雲見え来、反日感情高まる夏に
蝉時雨の遮断されたる角部屋に不合理強いる声の響きぬ
ペアガラス越しにのぞみし夏空はただただ青く薄情なりき
夏陽避けてゆく旧道に裏返る黄金虫あり起こしてやりぬ
オレンジ色に熟れたる苦瓜手にとれば青筋揚羽がまとわりつきぬ
排水溝に吸い込まれゆく蟻あまた、わが左手が蛇口ひねれば
散水の音に蜥蜴は驚かず低き姿勢を保ちておりぬ
室外機の羽不規則に回りたり一家不在の信証として
通勤の人の減りたる東京へ、快速電車の座席に沈む
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July 28, 2004
先日の記事で、短歌の市場性について書いたが、どうやら歌壇という世界では、書かれた短歌が流通しないことが当然で、それが短歌を後世に残す重要な要件であるように理解されているようだ。
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July 24, 2004
この15年ほど、ワインにはまっていて、自宅での晩酌もワインという私は、いきおいワインビジネスの人々ともずいぶん親しくなった。彼らとグラスを傾けながら「ゆくゆくは、ワインバーでも始めたい。できればワイナリーなども」などと半分真顔で私が言うと、彼らは「あなたは、そちらの側にいた方がよい人間だよ」と言われてしまう。
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July 10, 2004
それぞれの墓場
各々の電話に聞き耳立てること秘書達の習性として
誰が何を言った言わないかそれだけのことが全てであるぞ
ワイン、酒、老酒、焼酎、ビール券、贈られしもの積まるる墓場
台湾産マンゴー二十個並べられそれぞれ熟し香り発する
アメリカよりエアカーゴにて運ばれし桜桃の黄濁りておりぬ
尖塔のてっぺんに立つ風見鶏くるりと向きを変えて止まりぬ
参道より街を見下ろす風吹かぬ都会の朝は今日もけだるし
田園の緑は深く雨に濡れ候補者乗らぬ街宣車がゆく
動員の数正確に読む術は当落を読む術には使えず
旧道の駐輪場裏北向きの角にピアノが捨てられており
さまざまなものの墓場の物語書かるるwebサイトを見入る
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June 26, 2004
昨日は、コミック誌を読みふけっている中年サラリーマンの話を書いたが、私は歌集を車中読んでいる時、のぞき込まれて、怪訝な顔をされた経験がある。
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June 20, 2004
June 13, 2004
短歌人の編集人、編集委員を務めた高瀬一誌さんは、生前、短歌人に入会したばかりの私の顔を見るたびに、こう言われた。
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June 12, 2004
雨に降られて
棺桶のようなる箱につめられて薔薇は僅かに息をしている
一抱えもありし薔薇の花束は三本となり一週間の経つ
残りたる三本のうち一本がわき芽押し出づ薔薇は息づく
雨粒をはじかぬ傘を握りしめ通勤電車の奥へと進む
膝頭あたりに傘を押しつけてバランスたもつ満員のなか
目の前にすわりたる者七名のうち本読む者は一名
液晶に見入る人々並びたり老若男女、国籍不明
ひったくり事件の多き道筋に揺蚊の飛ぶ季節めぐり来
雨の来て揺蚊虫くう葉にとまる 雨のあがりしのちもとどまる
歪みたる鏡に映るわが顔のまともに見えて会議にのぞむ
暗闇に瞳孔ひらく音もなく「意見を申して良いのでしょうか」
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June 11, 2004
June 09, 2004
私が所属する短歌結社は、月刊誌を発行している。所属する会員、同人は、毎月の締め切り日(原則、12日必着)を目指して、短歌をつくる。もちろん、創作の力がある歌人は、毎日のように歌ができるが、私など、締め切りが目前になっても1首もできていないことの方が多い。
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May 25, 2004
久しぶりに、銀座の町を歩いてみた。軽い夕食をとりCDをあさった後、いくつか書店に寄ったみた。電通通り沿いの中規模の店には一応、短歌の棚がある。それは俳句や川柳、現代詩と同じ一角にあり、当然のことながら、歌書の量はとても少ない。置いてあるのは、俵万智さんや林あまりさんの歌集、山崎方代の短歌をアトランダムに並べた新刊『こんなもんじゃ』、それに枡野浩一さんのエッセイ集などだった。
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May 15, 2004
夢みる処
マンションの案内所として夢をみる家族迎えしプレハブの閉ず
プレハブの建物ゆえにペキペキと壁の破られ部屋見通せり
季節ごと花植えられしプランタの重ねられたり土にまみれて
残骸といえば一夜で剥がされしコンクリートのひと山
残骸をわたる烏はゆっくりとくず鉄ひろう真似をしている
残骸のすべて片づけられてのち空地ひろがる白猫のため
白猫はほぼ真ん中に座りこみ眼を閉じる春日高し
金網を張り巡らせて封鎖する招きたき者おらぬ間は
さつき咲く路地に遊べば風道に足長蜂が流されてゆく
此処にまたあの白猫があらわれて欅の根元にすっと寄り添う
とろけたる心地いつしか消え失せり路地を抜け出す連休末日
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May 12, 2004
ご存じの方もいると思うが、全国紙でも地方紙でも、たいていの新聞には、日曜日(あるいは月曜日)に歌壇、俳壇のコーナーがある。短歌も俳句も日本伝統の短詩であり、しかもそれらは専門家ばかりでなく、大衆が参加して歴史が築かれたという、世界でもきわめてまれな性格を持つ。
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